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「定められたとおり」 ルカによる福音書22章14~23節

2021-12-05

 「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった」と言います。 時は、過越祭の小羊を屠る日です。 エジプトでのイスラエルの民が味わった故事を記念して受け継がれている食事です。 奴隷の身であったイスラエルの民に、「エジプト全土に神の恐るべき死の働きが訪れる。 それが通り過ごして行くように、小羊を屠ってその血を家の柱と玄関に塗っておきなさい。 家の中にこもって、屠られた小羊の肉を食べ尽しなさい。」と告げられたのです。 その災いを免れたイスラエルの民は、縛られていたエジプトから救い出されることになった。 その救いの出来事を忘れないようにと、種無しパンと苦菜、そして神殿で屠られた神にささげられた小羊の肉だけを食べ尽すことを受け継いできたのです。 このイエスと使徒たちとの最後の食事は、イエスが周到に準備した食事でした。 イエスが使徒たちを招いた食事でした。 それと同時に、過越祭で屠られた小羊こそ、イエスご自身であることを示すための過越の食事でした。 罪人を招いて、その罪を贖うためにご自身をささげ、喜びを分かち合う食事でもあったのです。 「わたしのからだと血とを味わうために、この食事を用意した。 そこに、あなたがたを招いた。」と、周到に準備して、使徒たちを招いたイエスの最後の別れの食事、ご自身を犠牲としてささげられた過越の食事であったのです。
 そこでイエスは、「神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 しかし、今は、「見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。」と言います。 救いが完成される時、「終わりの日」には、今日の食事のごとく一緒にわたしはあなたたちと共に食事をする。 しかし、今はと言われたのです。 ユダ以外には身に覚えのないことであったので、「いったい、だれが、そのようなことをしようとしているのかと議論し始めた」と言います。 イエスご自身が選んだ12弟子の中からイエスを裏切ることなど、あってはならないことです。 他の福音書では、ユダは金目的であった、自殺までしたと記され、裏切者の代名詞のように烙印を押されています。 しかし、ルカは、「ユダの中に、サタンが入った」としか記していません。 イエスが招いたその食事の席に着いていたその他の使徒たちは、どうであったでしょうか。 「あなたと一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と答えたペトロですらも、三度にわたって「イエスを知らない」と裏切ったではないですか。 その他の使徒たちも分からないように、イエスを見捨てて処刑の場から去って行ったではないですか。 イエスはすべてご存じのうえで、すべての使徒に向けて、「あなたがたのために与えられるわたしのからだである。 あなたがたのために流されるわたしの血である。 わたしの血による新しい契約である。」と、過ちの赦しが、わたしのからだによって、血と肉によって備えられたと言われているのです。 これは、弟子たちが裏切ろうが従おうが関係なく、父なる神が定められた救いの出来事である。 「わたしは、父なる神が定められたとおり去って行くのです。」と言われたのです。 「わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」とは、イエスの犯人捜しの言葉でしょうか。 「わたしを裏切るその者は不幸である」とは、イエスの呪いの言葉でしょうか。 ユダの裏切りも、ペトロの裏切りも、父なる神の「赦し」のもとに立ち帰るためのご計画である。 そのための過越のイエスご自身を味わう食事です。 「屠り場に引かれる小羊のように」と預言されたイエスご自身が備えられた食事です。 ここに、裏切り、嘆き、涙を流さざるを得ない「からだ」の弱さを、私たちと同じように背負ってくださったクリスマスの喜びがあります。



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