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「ヨベルの年、主の恵みの年」 レビ記25章1~12節 

2021-09-19

 イエスが安息日にガリラヤの会堂の中に入り、お立ちになって聖書朗読した時のことです。 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と言われたのです。 その聖書の言葉とは、「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4:18-19)というイザヤ書61章の引用でした。 かつてモーセに約束された「主の恵みの年」が今日、今ここに訪れたとイエスは会堂で旧約聖書の巻物を紐解いて朗読された時に宣言されたのです。 イエスは父なる神が語られたみ言葉をよく読んでおられ、ご自身に語りかける声として聴き、受け取っておられるのです。 「第七の日を、安息日として主のために、その礼拝のために聖別された日としてささげなさい」と言われたように、「主のための安息をその土地にも与えなさい。」と言われる。 エジプトからモーセによって導かれた約束の土地は、神から与えられた土地である。 この恵みの業を私たちに成し遂げてくださった神を憶えるために、自分たちを顧み生かしてくださる「主にある平安」を喜ぶために、しばし手を休め静かに感謝して神を仰ぐようにという「主のための安息」を告げたのです。 「土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者に過ぎない。 主の僕として主のもとで、与えられたその土地を託されているに過ぎない。 六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、七年目には全き安息を土地に与えねばならない。 畑に種を蒔いてはならない。 ぶどう畑の手入れをしてはならない。」と言われるのです。 それでは、七年目はどうやって食糧を確保するのですか。 八年目や九年目にすぐさま収穫ができるのでしょうかと私たちは尋ねたくなります。 神は、「わたしは六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。 あなたたちは、八年目になお古い収穫の中から種を蒔き、食べつなぎ、九年目に新しい収穫を得るまでそれに頼ることができる。」と、前もって収穫の恵みを備えると約束されたのです。 そして、「安息の年を七回、七を七倍した年は四十九年である。 この五十年目の年を聖別し、全住民に解放を宣言する。 売られた土地も、売られた人も買い戻され、元の所有者に、元の家族のもとに帰ることになる。 こうして土地も人も回復される。」と、「ヨベルの年、主の恵みの年」をモーセに仰せになったのです。 その父なる神のみ言葉を、イエスはご自身のこととしてご自身のうえにこの「ヨベルの年、主の恵みの年」が、今ここに実現されたと宣言されたのです。 イエスは税金に苦しんで土地を失い、家族を失い、収穫の半分以上を小作料として搾取されている、この世の犠牲となっている人々の姿をご覧になっていたのでしょう。 「主の恵みの年」には、その負債が免除される。 本来もっているはずの土地が回復される。 失っていた社会的な存在を取り戻される。 この世のことだけではない。 イエスご自身の到来によって、神のもとを離れてしまって、罪と死の奴隷となってしまっていた、この世の奴隷になってしまっていたことに気づいていなかったこの私たち自身が、主なる神との交わりを赦されて、回復され、神を仰ぎながら生きるようになる「主との交わり」が回復されるという「解放」、「救い」を宣言されておられるのです。 見えていなかったこと、気づいていなかったことが示され、神に出会い、神を迎え入れ、神とともに歩むまでに回復され、「主の交わり」の中に生きる者と変えられる。 これが真の神の救い、神の恵みです。



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