秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「ふたりの女性」 マルコによる福音書12章41~44節 14章3~9節

2020-06-28

 イエスは神殿の境内を出て行かれるまでのしばしの間、じっと「座って」群衆が神殿の賽銭箱に献金を入れる様子を見ておられました。 休んで見ておられたのではなく、権威と審判の座について群衆の礼拝する姿をイエスはじっと見ておられたのです。 このすぐ後で、「この神殿は崩壊する。 この神殿でささげられる礼拝は消え、真の礼拝をする時がくる。」と預言されたのです。 その時、イエスの目に留まった姿が「レプトン銅貨2枚を賽銭箱に入れた一人の貧しいやもめの姿」であったのです。 「レプトン銅貨」とは、ギリシャの最少額の貨幣です。 イエスはその女性の姿を見て、わざわざ弟子たちだけを呼び寄せて、「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中弟子たちに要求されたのではありません。 金額の多寡や、ささげる種類を問題にしたのでもありません。 「献げる。 礼拝する。」その意味を知らなければならないのは、愛する弟子たちであると思われたのではないでしょうか。 神は私たちのすべてをご存じで、豊かな賜物を無条件で与えてくださるのです。 神のためにそれを捨てる者には、神ご自身が責任をもって必要なものは補ってくださるのです。 捨てなければ、神から授かる賜物は与えられないのかもしれません。 神は私たちのために、ご自身のみ子イエス・キリストさえ十字架の上で私たちに与えてくださったのです。 そこまで私たちに与えてくださっているものは、豊かで貴重であるはずです。 神を畏れる信仰に結び付けられて献げるようにと、喜んで感謝して精いっぱいの自分の身をささげる信仰の姿を、イエスは愛する弟子たちに伝えたかったのではないでしょうか。
 もうひとり、「純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それをその場で壊してイエスの頭に注ぎかけたベタニアの女性の姿」があります。 ひとりの労働者の約一年分の所得の価値がある高価な香油を一瞬にしてイエスの頭に注いだために、そこにいた多くの人々に「なぜ、こんなに高価な香油を無駄遣いしたのか。 貧しい人々に施すことができたのに。」と厳しくとがめられたのです。 その時のイエスの言葉が、「するままにさせておきなさい。 わたしに良いことをしてくれたのだ。 彼女は自分にできるかぎりのことをしたのだ。」と認められたのです。 神のみ心が働く、「その時、そのところ」でなければならないことがあるのです。 イエスは、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときには良いことをしてやれる。 しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 彼女は前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」と言われたのです。 イエスが進んで受けられた十字架の痛み、苦しみ、貧しさにあずかるには時がある。 定めがある。 場所があるのです。 「この時、このところ」でなければできないことを女性はしてくれたのだと、イエスはこれから迎える十字架を仰いで受け取ってくださったのです。 貧しいやもめの女性は、まったく価値のないレプトン銅貨2枚をささげたのです。 もうひとりのベタニアの女性は、高価な香油を惜しげもなくイエスの頭にささげたのです。 ささげたものの違い、ささげ方の違いを超えてイエスは、「自分のもっているものをすべてささげた。 できる限りのことをしてくれた。」と、同じように受け取ってくださっているのです。 ふたりの女性は、「その時、そのところ」でしかできないふさわしい「ささげもの」と「ささげ方」で自分の「献身」の姿を表したのです。 それをイエスは同じものとして喜んで受け取ってくださったのです。



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