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「天に引き上げられた十字架のイエス」 使徒言行録1章6~11節

2020-04-05

 聖書にはこう記されています。 イエスは十字架に架けられるという父なる神から見捨てられるという「絶望と恐ろしさ」を味われた。 しかし、そのイエスがよみがえられて、40日にもわたって使徒たちの前に顕れて、ご自分が今なお生きておられることを示された。 姿を現しただけでなく、神の国について話された。 使徒たちと食事をともにした。 「エルサレムを離れるな。 前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」と命じられたと言うのです。 「エルサレム」とは、使徒たちがつまずき、イエスを見捨てた大失敗をした苦い経験をした所です。 人々からも取り残された、自分たちにとって辛い所です。 イエスはそのような所を、「父なる神の約束である賜物が授けられるまで離れず、祈り求めなさい。」と言われたのです。 そして、「あなたがたは、間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる。」と約束されたのです。 使徒たちはこのイエスの言葉を聞いて励まされ、自分たちの夢が叶えられると思い、イエスの言われる「神の国」とは自分たちのイスラエルの国が再び新しく興されることであると喜んだのでしょう。 「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、今ですか。」と思わず、イエスに問い返したのです。 この弟子たちの問いに対するイエスの答えが、「その時期については、父なる神がご自身の権威をもってお定めになることである。 あなたがたが知るところではない。」と語り、神のみ心を見当違いに捉える使徒たちに、イエスは諭すのです。 
 すべての民がこの世から救い出され、神のもとへ立ち帰るという父なる神の救いの業を、イエスはこの使徒たちに託すのです。 イエスがこの使徒たちを用いて、この救いの業を推進していく。 イエスの身に起こった事実を目撃し、一人一人のからだに刻まれた事実を語る「イエスの証人」を用いて救いの業を行うという決意でした。 歴史的事実の証人としてだけでなく、自分の生涯に起こされた事実を自分の言葉で語る人を用いて救いの業を進めると、イエスは使徒たちに向けて一方的に語られたのです。 使徒たちがそれにふさわしい人であると認めたから、イエスは用いると言われたのではありません。 そのために、「あなたがたのうえに聖霊が降る。 あなたがたは力を与えられる。 あなたがたは、わたしの証人となる。」、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、そして地の果てにまで、わたしの証人となる。」と約束し、イエスはその準備をし、その務めを託されたのです。 自分たちの犯した過ちを噛みしめるところから出発しなさい。 自分の周りから神の救いの業を始めなさい。 それが全世界にまで及ぶようになる。 そのための原動力である聖霊という賜物が与えられる。 イエスを信じて従うすべての人に、「イエスが主である」と証言する力が与えられると約束し励まされたのです。 しかし、聖書はそれだけではないと言います。 イエスの宣教の業が託された使徒たちが見ているうちに、イエスは天に上げられた。 「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、今、天に上げられたその姿と同じ姿をもって、またおいでになる。」と知らされた。 「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさった。」(使徒2:36)と言っているのです。 使徒たちのイエスが復活したという信仰は、イエスが十字架のうえで裁かれて、殺されて死んだ。 そのイエスが神によって天に引き上げられ、よみがえらされ、すべての権威を授けられたメシアとされた。 このままでは死んで、神との交わりが断絶してしまうという使徒たちを取り戻すために、再びここに集められた。 再び新しく造り上げられたのです。 神は集めるために散らされるお方です。 再びつくり上げるために壊される神です。 使徒たちの変貌のためには、イエスの十字架の死、復活、昇天という出来事が必要であったと聖書は語り、そこに教会が興されたと言っているのです。



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