秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「命のパン」 ヨハネによる福音書6章22~35節

2020-03-01

 イエスが5つのパンと2匹の魚をもって五千人の群衆の食事を賄うという奇跡を引き起こしたところに、取り残された群衆がいます。 そこには小舟が一そうしかなかったこと、その小舟に弟子たちだけが乗り込んで向こう岸に向かったことを、彼らは確かに見ていたのです。 そうであるのに、そこにイエスがおられないことを知った群衆はイエスを探し始めたのです。 そこに数そうの小舟がやって来て、それに群衆の代表者たちが乗り込んでカファルナウムに向かったと言います。 カファルナウムはイエスがガリラヤでの活動拠点としていたことから、当然の行動であったのです。 「群衆は、イエスのなさった奇跡を見て、この人こそ、世に来られる預言者であると思い、自分たちの王に担ぎ上げようとした」と言います。 五千人の奇跡を起こしただけでなく、小舟を使わず「湖の上を歩いて渡る」という考えもつかない姿をとって移動されたとヨハネによる福音書は語っているのです。 ですから、群衆は驚きをもって、また自分たちの意のままにならないイエスに対する不満を込めて、「先生、あなたはいつ、ここにおいでになったのですか」と語るのです。
 その群衆に、イエスは「あなたがたはお腹を満たすパン、朽ちる食べ物を求めている。 あなたがたは奇跡というしるしを起こしたこのわたしを探し求め、またしるしを願い求めている。 奇跡を起こしたわたしを遣わした神を見ようとしない。 神が遣わしたこのわたしを信じようとしない。 わたしが起こした奇跡というしるしだけを見ようとしている。」と語られたのです。 イエスの話を聞いた群衆は、「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。」と語り、自分たちの先祖が荒れ野で神によって養われた食べ物、マンナのことを持ち出すのです。 イエスは言います。 「先祖たちが受けたマンナという食べ物は、わたしの父、神が与えられたパンである。 神がお与えになるパンは、この世の命を超えた、神の前に生きる霊の命を与えるものである。」 こう答えたイエスに、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と、自分たちが安心するために、明らかに自分たちが手にすることができるその見えるパンをください」と願ったのです。 そこで言われたイエスの言葉が、「わたしが、その命のパンである。 わたしのもとに来る者は決して、飢えることはなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」という言葉であったのです。 
 イエスは「わたしが与えるものを取って食べなさい。 わたしが与える杯を飲みなさい。」と言っておられるのです。 私が、食べてもなくならないパンである。 神がお与えになるパンである。 私を通して語られる神のみ言葉を味わい、飲みなさい。 これを受け取るのか、受け取らないのかと招いておられるのです。 見て信じる信仰、納得したら信じる信仰、満腹すればそれでいい、自分の願いが満たされるならそれでいいという信仰から脱却して、奇跡を行う人のうちに働く神を見出しなさい。 今もなお依然として働いておられる神を見出しなさい。 そうすれば、あなたがたは飢えることがない、渇くことがない。 この養いに、私たちが招かれているのです。 そうすれば、あなたがたのうちに、いつまでもなくならない、湧いてくる食べ物としてとどまり養われる。 わたしを通して働かれる神を信じなさい。 神が遣わしたこのわたしを信じなさい。 そうすれば、あなたがたは飢えることがない、渇くことがない。 この養いに私たちが招かれているのです。 毎日、毎日、私たちを養うために、礼拝に神が招いてくださっているのです。 この神との交わり、神の養いに満たされて、この礼拝からこの世の与えられた場所に出かけていくのです。 



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