「十字架の死を仰いで」 ヨハネによる福音書19章31~42節
聖書は「イエスの十字架の死」をこのように記しています。 イエスは十字架の上に死んで遺体となっていた。 その遺体は、その日のうちに十字架から取り降ろされた。 その際には、念には念を入れてローマ兵による槍の一刺しによって、イエスの死が十分確認された。 十字架から取り降ろされたイエスの遺体は、だれもまだ葬られたことのない新しい墓に納められたと詳しく記されています。 確実にイエスは殺されて死んでいた。 それは聖書に預言されていたことが成し遂げられたことであったと語っているのです。 後ほど「復活の朝」を迎えたイエスが弟子たちの前に顕れて彼らを迎えたことによって、この「イエスの十字架の死」を復活の希望に満たされた喜びと感謝の「証し」として聖書は語っているのです。
「十字架」は、私たち教会のシンボルです。 「十字架」は、ローマ帝国という強力な国家権力によって、その支配する社会の秩序を乱す政治犯を処刑するための道具にすぎません。 それをなぜ「象徴」として掲げているのでしょうか。 最初のころの教会の人たちもまた、イエスの十字架処刑の直後においては、その本当の意味を知ることはありませんでした。 しかし、その十字架によって処刑されたはずのイエスが自分たちの目の前に現れて驚きうろたえた末に、聖霊に導かれてそれぞれの信仰によって悟った心の中に刻まれた「証し」、それがそれぞれの「十字架」なのです。 イエスが十字架のうえで語られたとする「七つの言葉」をとってみても、実に様々です。 「イエスの十字架の死」に対する、ひとりひとりの信仰による応答の言葉でもあるのです。 ローマ帝国の権力の象徴でもあったローマ総督は、イエスをどうしても武力をもって人々を扇動する力をもっているとは認めることができませんでした。 イエスとユダヤ教の人々との間の宗教上の争いにしか見えなかった。 むしろ、群衆を惹き付けているイエスを妬んで、起こされた争いごとにしか見えなかったのです。 ユダヤ教の人々もまた、自分たちが拠って立つ神殿、神殿儀式を否定したイエスを赦すことができなかったのです。 これらの敵対者だけが、イエスを排斥したのではありませんでした。 愛する弟子たちもまた、イエスを見捨てそのもとを離れたのです。 群衆もまた、あれほどイエスを歓迎していたのに、簡単に扇動され、惑わされ手のひらを反すようにイエスを見捨てたのです。 イエスはローマ兵からも、祭司長たちからも、十字架の脇にいた犯罪人からもののしられ、侮辱を受けたのです。 イエスはあらゆるののしりと侮辱を受けて、それでも痛みと苦しみを味わい、神から捨てられるという「神との断絶」という神の子であるがゆえに知る「恐ろしさ」を十字架のうえで味われたのです。 イエスは死んだのです。 私たち人間がこのままでは味わなければならない永遠の「神との断絶」を、罪に定めることのできないイエスが私たちの罪によって裁かれたのです。 この裁きこそ、み子を裁いて神がその救いの業を示すためです。 私たちに仕え、私たちと同じ苦しみ、悲しみ、喜びを神が「神の子」の姿をとって共に味わい共に生きていることを示すためです。 このイエスが味われた「断絶の苦しみ、恐ろしさ」こそが、私たちの過ちを思い起こさせ、方向転換させるのです。 その過ちを赦して、私たち人間を取り戻そうとされた神のご愛を示すことができる。 父なる神こそ、わが子を裁かなければならなかったその痛みを、ともに味わってくださったのです。 神は十字架のうえに私たちと一緒に死んで、私たちを取り戻して一緒に生きてくださっているのです。 「十字架の死」は、み子を捨てられた「父なる神の痛み」と、その父なるへの従順と私たち人間と同じように生きて見捨てられた「み子の痛み」の協働の業です。 イエスは、神と人との溝を埋めるために、人間のどん底にまで下りてきてくださったのです。