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「主のために、神の僕として」 ペトロの手紙一2章11~17節

2019-09-08

この手紙の宛先は「信仰の友」です。 信仰の戦いの同労者です。 それをペトロは、「愛する人たち」、「各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」、「神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、霊によって聖なる者とされた人」、「イエス・キリストの血を注ぎかけていただくために選ばれた人」、「神のものとなった民」と表現しています。 やがてくる「終わりの日」にそのようになると言っているのではありません。 周囲が何も変わっていないにも関わらず、この世に変わらず生きて生活をしているにも関わらず、すでに神の国に国籍をもつ者としてくださっているとペトロは言うのです。 「旅人であり、仮住まいの身なのですから、神のもとから離れるようにと魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい」と勧めるのです。  
 当時のユダヤの人びとは、信仰をもっているがゆえにローマにより迫害されていたのです。 その激しさは、その時々のローマ皇帝によって違いはあったでしょう。 自らを神のうえにおいて崇拝するようにと命令を下したりもしたローマ皇帝もいたのです。 もし、小さな存在である私たちでさえもじかに辱めを受けたなら、私たちの名誉が著しく傷つけられたなら、反論も抵抗もするでしょう。 それが人間でしょう。 しかし、ペトロは言うのです。 「彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、いずれ神をあがめるようになります。 その異教徒の間で立派に生活しなさい。」と促すのです。 ペトロはイエスの姿を通してこのように語っています。 「このお方は、ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。 十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。 そのお受けになった傷によって、この私たちの傷が赦されたのです。」 ペトロは、やがてあなた方の名誉が回復される、傷が癒される、理不尽なことが解消されると言っているのではありません。 あなたがたをののしり、苦しめ、脅し、悪人呼ばわりしているその「彼らが、やがて私たちが信じる神をほめたたえるようになる。」と言っているのです。 私たちがこの地上で受ける名誉や評価など大したことではないでしょう。 あるいは非難や中傷でも、これからこの身に授けられる恵みに比べれば比較にならないでしょう。 むしろ、私たちが賛美する、礼拝する神を、今や神を必要としない彼らがいずれほめたたえようになる。 そのために、この私たちの存在が用いられる。 私たちの生きた「証し」が用いられると言うのです。 その私たちの姿は、この世においては負けているようにしか見えないかもしれない。 むなしい戦いをしているように見えるかもしれない。 しかし、ほんのわずかなこの世での私たちの姿が、永遠に続く世界においては逆転する。 しかるべき時には、すべての者が神をほめたたえるようになる。 この約束によりすがって生きることです。 この世のささいなことに振り回されることなく、永遠に失われないものに、私たちの目と耳が開かれることです。 この異教徒の間の生活で最たるものである「統治者としての皇帝」、「その皇帝が派遣する総督」、「すべての人間の立てた制度」への対応について、ペトロは「従いなさい」とまで語ります。 その従う理由は「主のために」です。 イエス・キリストの十字架に示された神の愛のためにです。 もしそうでないとしたなら、「善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じなさい。 それが神の御心である。」と語っているのです。 ペトロはその姿を、「自由な人として生活をしなさい。」 「神の僕として行動しなさい。」と語っています。 神への服従を貫き通されたのはイエス・キリストおひとりです。 このお方に結ばれて生きる、ともに生きてゆくなら「神の僕、神のもとにある自由な存在」に変えられると言うのです。



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