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「宣べ伝えなさい」  マタイによる福音書10章1~12節

2019-02-10

 イエスが十二人の弟子を呼び寄せられました。 父なる神に授けられているイエスご自身の権能を十二人の弟子にお授けになったと言います。 この有様には、イエスの弟子の原型があります。 このイエスによる弟子の選びと派遣は、イエスの深い憐れみを原動力としています。 迫ってきている神の国に、「弱り果て、打ちひしがれている人々」を招くためのイエスの業でした。 イエスが行われている通りの業を引き継ぐための備えでした。 そのために弟子たちは集められ、イエスから賜物を授けられ、人々のところに派遣されていくのでした。 その「授けられた権能」とは、「汚れた霊」を追い出す権能、神のもとから離れさせようとするこの世の力、あらゆる病気や患いを通して人々に与える不安や絶望から救い出す権能でした。 
 イエスはこの十二人の弟子たちを派遣するにあたり、「異邦人の道に行ってはならない。 また、サマリア人の町に入ってはならない。 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。 行って、天の国は近づいたと宣べ伝えなさい。」と命じられたのです。 なぜイエスは、イエスをまったく知らない異邦人のところではなく、イスラエルの人々のところに先ず行きなさいと言われたのでしょうか。 イスラエルの民は、神の民として選ばれた民のはずです。 その民が、選んだそのお方を頼らず、神のみ心を思わず、自分勝手に歩み出してしまっている。 そのご自分の民が「飼い主のいない羊のようだ」とイエスは憐れんでおられるのです。 この失われたイスラエルを取り戻すこと、これが宣教の始めであると、十二人の弟子たちにイエスは語ったのではないでしょうか。 イエスの神の国の福音宣教は、「悔い改めよ。 天の国は近づいた。」という短いみ言葉でした。 選ばれたイスラエルの民の悔い改め、方向転換を呼びかけること、イスラエルの民の回復がすべてに優先されていたということでしょう。 マルコによる福音書では、「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した」とはっきりと書いてあるのです。 そして、イエスご自身が今まで行ってきたように、病人をいやす、死者を生き返らせる、重い皮膚病を追い払うようなことが弟子たちにもできるようにと、ご自身が授っている権能を与えられたのです。 そして、あなたがたはその権能を、「ただで受けたのであるから、ただで人々に与えなさい」と言われたのです。 「ただで」とは、価なしにということです。 何の資格もない、ただ神の恵みによって与えられたということです。 十二人の弟子たちの信仰歴は、わずか1~2年であったでしょう。 何の資格もなければ、何の力も、何の経験もありません。 また、事前の訓練も備えもありません。 突然呼び出されて、突然その力が授けられたのです。 すべて、イエスの方から呼びかけてくださって、「ただで」その力が与えられ、選ばれたのです。 すぐ近くにいるイスラエルの人々、新しいイスラエルに、ただ自分が神に赦されたこと、愛されてきたことをそのまま証しするだけであったのです。 ですから、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。 袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。」と、神の支配の中に包まれて神のみ心に従って働く者には、神ご自身が必要なものをすべて用意してくださるし、神の国の支配が現実に私たちの中にあることを神ご自身が証ししてくださるとイエスは言うのです。 私たちはイエスから授けられた精いっぱいの賜物で、神の国の福音を告げることが私たちの務めです。 しかし、そこから先は、私たちが決めることではありません。 神のわざ、神の戦いです。 私たちはするべきこと、する必要のないことを神に教えていただかなければなりません。 すべきことの虜になってもならないし、すべきことに気づいてもいなければならないのです。  



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