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「キリストを体験する恵み」 ローマの信徒への手紙11章4~7節

2018-12-23

 世界で最初のクリスマスは、神のみ言葉を突然聞いた者に引き起こされた出来事でした。 イエス・キリストという、父なる神によって遣わされた「神の恵み」そのものであるお方と初めて出会った出来事でした。 以来、今もなお生きて働いて、主は私たちと出会ってくださっています。 しかし、それが「弱い者、苦しんでいる者、悲しんでいる者」の姿をとって出会ってくださっているので私たちは気づかないのです。自分の期待や夢や希望だけで見ようとするなら、見えてこない姿です。 自分の経験や常識だけで生きるなら、触れることのできない姿です。私たちの側の努力だけに頼るなら、味わうことのできない出来事です。 神の恵みと神の憐れみだけに立つなら、くっきりと見えてくる出来事です。 クリスマスの出来事は、イエス・キリストの復活の新しい命に触れて、味わう「恵みの体験」です。 
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」と尋ねる占星術の学者たちにもたらされた知らせに、「喜ばなかった人」がいます。 その代表は、その時代のユダヤの領主であったヘロデ王です。 その知らせに動揺し、その人物を抹殺しようと考えても不思議ではないでしょう。 このユダヤの社会を牛耳っていた、ヘロデ王を取り巻く人々もまた同じでしょう。 しかし聖書は、「エルサレムの人たちも皆、不安を覚えた」と言います。 なぜでしょうか。 ヘロデ王は、自分の側近や兄弟たちであったとしても、自分の地位を脅かす者を排除したと言います。 この新しいユダヤの王が生まれるという知らせが、何かを引き起こすのではないか。 当時のユダヤを支配している者にも、また支配されている者にも波風が立つ、大きな変化がもたらされるのではないか。 これが最初のクリスマスの知らせに「喜ばなかった人たち」の不安です。 これから起こるであろう、何かが変わるという知らせに戸惑いを感じ、何かが変わろうとする不安を多くの人々が抱いていたのでしょう。 マリアは、「どうして、そんなことがありえましょうか。」と、神に訴えました。 ヨセフもまた、「世間体を気にして、この結婚をないものとしようとまで悩んだ」と言います。 しかし、何がこれから起きるのか判然としない中にあっても、ヨセフとマリアは自分の身に引き受けていった。 この知らせを聞いた羊飼いも、学者たちも、本当に確かなものであるのかどうか、今の生活をそこに残したまま出かけて行ったと言います。 最初のクリスマスを見定めたのは、このごく限られた、ありふれた小さな存在の人たちであったのです。  私たちはなぜ、ヨセフとマリア、羊飼いや学者たちが選ばれたのか分かりません。 分かっていることは、多くの人たちが喜んでいなかった中で、このごく限られた人たちだけが神に選ばれて、気づかされて、分からないままにこの出来事を受け入れて希望が与えられ、喜んだという事実です。 限られた人たちの側のことにまったく関係なく選ばれて、引き起こされた事実です。 「神の恵み」としか言いようのないものです。 このローマの信徒への手紙を書いたパウロもまた、この神の恵みとしか言いようのない神の選びを一身に受けた人物です。 同胞のユダヤ人たちがなぜ、自分と同じ恵みに浴していないのか。 神は選ばれた民を捨てられたのではないか。 これがパウロの痛みであり、生涯の疑問でした。 同じ境遇にあった預言者エリヤの姿に重ねてパウロは言います。 「主よ、もう十分です。 わたしの命を取ってください。」と嘆くエリヤに応えた主の言葉です。 「お前は一人ではない、戦っているのはこの私である。 自分のために七千人を残しておいた。」と言われたのです。 同じように今もなお、神の恵みによって選ばれた者が残され、神の恵みを受けている。 それが、すべての人たちに神の恵みが及ぶようになるためであるとパウロは言うのです。 「喜ばなかった人」のために、クリスマスを「喜ぶ人」として私たちは選ばれたのです。 



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