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「み言葉を聞いて行う者」 マタイによる福音書7章21節~29節

2018-08-05

 マタイによる福音書の5章から7章にかけて、「山上の説教」が語られています。 そば近く寄って来た弟子たちに、イエスは「心の貧しい人は幸いである。」と語り始め、「わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入る。」と、譬えをもってしめくくっておられます。 「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」と言うのです。 見えないところに、しっかりとした土台を据えるなら、その家は大丈夫である。 しかし、すぐ流されてしまうような砂の上に家を建てるなら、ひとたび雨や川や風が襲いかかるとひとたまりもない。 だから、土台をしっかりと築きましょうという人生訓を語っているのではありません。 また、み言葉を聞いて従う人と、み言葉を聞くだけで従わない人とに分けてしまって、み言葉を聞いて従う者になりましょうと、この「山上の説教」の締めくくりに愛する弟子たちに語られたのではないように思います。 パウロは、イエス・キリストこそ、私たちに「離れずついてきた霊的な岩である」(コリント一10:4)と言っています。 「この岩なるイエス・キリストが伴ってくださったからこそ、わたしたちを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも、この霊的な岩であるイエスが備えていてくださいます。」と語るのです。 もうすでに霊的な岩は存在しているのです。 この岩なるイエスの語るみ言葉に聞いて従うところに、私たちの土台が造られる。 その土台は、私たちの力だけで築けるものではない。 イエスのみ言葉に聞いて従って初めて、伴なるイエスご自身が働いてくださっていることに気づかされる。 「自分の家をその霊なる岩の上に建てる」ということは、この霊なるキリストとともに生きるということでしょう。 自分の生涯を、この霊なる岩の上に置くということでしょう。 イエスのみ言葉が指し示す道を歩んでみる。 そのみ言葉によって、自分の歩み、思い、生き方を造り上げられていただく。 イエスが語る神のみ心に委ねてみる。 イエスが私だけにみ言葉で示す、私だけにしか用意していない、私にしか歩むことのできない道を、イエスとご一緒に歩いてみるということでしょう。 自分の家を建てるということは、その土台の上に立って生きて確めるということでしょう。 雨が降り、川があふれ、風が吹くとは人生の危機です。 どのような危機にあっても、そこに岩なるイエス・キリストがともにいてくださる。 変わらない神のご愛、ご真実が貫かれ、支えてくださっていることを確かめることができる。 それが、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」ということではないでしょうか。 すべての人が、どのような時にでも、この岩の上に立って生きて確かめることができる。 信じようとしても、自分の力では信じることができないこのイエスのみ言葉を、その上に立って生きて味わうことによって信じることができるようになる。 本当に真実であったと体験し、告白することができるようになるのです。 この体験を、イエスは「築かれた家の土台」と言っているのではないでしょうか。 「岩の上に自分の家を建てた賢い人」も「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」も両方とも、イエスに従ってきて自分の家を建てたのです。 どちらも、土台をもって、イエスに従ってきた弟子たちでしょう。 自分のために懸命に信じようとしてきた「砂の上に自分の家を建てる信仰」から、その砂に杭を打って、そのような弱い土台の上にこそ、神の憐れみとご愛にすがって、「岩の上に自分の家を建てる信仰」へと、そば近く寄り添ってきた多くの愛する弟子たちに、イエスはそのご愛をもって語りかけ、招いておられるのではないでしょうか。 



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