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「神の約束に生きる者」 ローマの信徒への手紙4章13~25節

2018-01-28

 パウロはイエス・キリストに出会って、古い信仰から新しい信仰へ大転換した人物です。 努力して学び取った律法という神の戒めを堅く守り、生涯をかけて行い通すことによって神の救いにあずかろう。 神の国に入る資格を得よう。 永遠の命に与かるよう自分自身を造り上げていこうとする古い信仰から、「恵みにより、信仰によって救われた」(エフェソ2:20)と告白する新しい信仰にパウロは導かれたのでした。 当時のユダヤ教の社会では革命的な信仰でした。 このパウロが命がけで告げた新しい信仰を、今日の聖書箇所で旧約聖書にあるアブラハムの信仰によって説明しています。 「アブラハムは希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、神を信じた。 死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させるお方として、神を信じた。 アブラハムは不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」とまでパウロはアブラハムの信仰を表現しています。 
パウロが語るような堅い信仰を、アブラハムは持ち続けていたのでしょうか。 アブラハムは、神に約束の地と言われたカナン地方には、カナン人が住み着いていたことを知り、更なる地を求めて通り過ぎて行きました。 何年経っても子供が与えられず、「百歳の男に子供が生まれるだろうか。 九十歳の妻に子供が産めるだろうか」と、神の約束を疑いました。 知恵を用いて策を弄して、神の祝福と自分の前に横たわる厳しい現実に耐えかねて、折り合いをつけ繕おうとしました。 しかし、パウロは、アブラハムの信仰が堅いものであったから、神のみ言葉がアブラハムのうえに成し遂げられたとは言っていないのです。 アブラハムへの「あなたを祝福し、すべての民の祝福の源とする。」という神の約束の言葉は、アブラハムの信仰の状態によって左右されるようなものではない。 神のみ言葉は、人間の側の不信仰によって遮られたり、消えてなくなるような不確かなものではない。 神ご自身は、自らの言葉だけによってみ心を成し遂げる。 神が自らの言葉を実現させるために、人を選び出し用いられる。 神の約束を果たすために、何もなかったところに私たちの信仰を産み出し、導き起こすのであると言うのです。 私たちの信仰が、神の約束を実現するのではありません。 神の約束のみ言葉は一方的な恵みから、憐れみから、ご愛から出ているものです。 アブラハムは途中がどうであれ、その神のみ言葉を聞いて、言われた通りに従って行こうとしたのです。 神は自らの約束を果たすために、アブラハムを用いて、アブラハムの信仰が無くならないように、憐れみとご愛によって守り導いてくださったとパウロは言っているのです。   
 アブラハムの信仰は、神のみ言葉、神の約束に従った信仰です。 仮住まいのような旅の連続、不信仰に揺れる生涯であったとしても、「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じた」アブラハムの信仰であったとパウロは言うのです。 将来に希望をもつことができない、期待することができない状況の中で、神の約束、希望に立ったと言っているのです。 私たちが抱く希望は、望むことができるような時に望む希望でしょう。 何とかなりそうな時にもつ希望でしょう。 しかし、望みが絶たれてしまっていると思われる時に抱く望みこそ、神の約束の恵みにすがる「信仰による希望」でしょう。 アブラハムはまったく希望が見えていないときに、神の約束の言葉だけを根拠に、「自分の希望に逆らって、神の約束の希望に立った。」 アブラハムの姿がどのようなものであれ、神の約束は果たされる。 神の約束は、「神の一方的な恵み」だとパウロは言うのです。 私たちの信仰ですら、神の恵みによって与えられているものです。 自分で勝ち取っているものではありません。 「恵みによって与えられる信仰」です。 これが、神が約束を果たす時に、み言葉を成し遂げるために起こされると聖書は語っています。  



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