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「だれでも与えられる賜物」 ルカによる福音書11章9節~13節

2015-11-22

 主イエスは、「求めなさい。 そうすれば与えられる。 捜しなさい。 そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。 そうすれば、開かれる。」と言われます。 一生懸命に依り頼むところには、道が開かれる。 必死に求めるなら、報いられる。 最後まで諦めないで門をたたくなら、その門は開かれる。 そのような困難に打ち勝つ励ましを、主イエスは語られたのでしょうか。 私たちは、むしろ厳しい現実を知っています。 現実は、イエスの宣言の真逆であるように思います。 9節のこのみ言葉と、10節のみ言葉をつなぐ小さな「言葉」があるのです。 「~だからである」という理由を示す小さな言葉が、この二つの節をつないでいるのです。 イエスが9節で、「求めなさい。 そうすれば、与えられる。 捜しなさい。 そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。 そうすれば、開かれる。」と語られたのは、10節の「だれでも、求める者は受け、捜す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」からだと言っておられるのです。 「だれでも」です。 このような「だれでも」求める者には与えられるという世界があることを、イエスは語っておられるのです。 イエスの生涯の姿を思い起こしてみてください。 押し寄せてくる病人たちを、「だれでも」区別なくお癒しになられました。 イエスは、そのような「だれでも」与えられる神の恵みの世界があるからこそ、あなたがたは執拗に「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」と言っておられるのです。 「求めるなら与えてあげよう」と言っておられるのではありません。 すでに、あなたがたに用意されているものがあるのだから、失望しないで祈り求めなさいと言っておられるのです。 
 イエスはそう語られた後に、「求める者だれにでも」与えるお方のことを、「天の父」と呼んでいます。 魚を欲しがる子供に「良い物」を与える父親、卵を欲しがる子供に「良い物」を与える父親と表現しています。 自分の子供であるなら、父は子供にとって何が一番良い物であるのかをすべて知っている。 いつも変わらず、どのような所でも自分の子供をじっと見守っている。 そして、必要な所で、最もふさわしく与えるはずである。 子供は魚を欲しがるのです。 卵を欲しがるのです。 しかし、子供たちにとって本当に「良い物」が何であるのかを分かっておられる「天の父」は、願い求める子供の姿を喜んでくださるのです。 そうであるのに、この待っておられる「天の父」に本当に期待し祈り求めているでしょうか。 「天の父」には不可能なことは何もありません。 すべて分かっておられるお方です。 求めた通りでなくても、私たちにとって一番良い物を与えてくださいます。 イエスは13節に、「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と言います。 復活されたイエスは、「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と命じられました。 また「あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」とも約束されました。 「天の父」から与えられる「良い物」とは、聖霊のことであると言っています。 この聖霊を私たちに与えてくださることが、神の約束であり、神のみ心であるとはっきりと聖書は語ります。 この聖霊の働きによって、祈りが与えられる。 信仰が与えられる。 堂々と証しの働きをするようになる。 何が神のみ心であるかを知るようになる。 神のみ心を行うことができるようになる。 これが、ペンテコステの日から始まった復活の主イエスの聖霊のバプテスマです。 「だれでも」例外なく、聖霊を与えることが神の約束であり、神のみ心なのです。 神が私たちの願いを聞き届けてくださったのは、私たちが願い求めたからではありません。 ただ神の恵み、神からの賜物です。 聖霊は、私たちのそば近くあって、私たちを助けてくださる神、助け主、慰め主です。 



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