「暴風のなかの教会」 使徒言行録27章13~26節
パウロは、「あなたはどなたですか」と尋ねて、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と語りかけた復活のイエスに出会った人物です。 それ以来、エルサレムからローマへの福音の宣教のためにと、今までとは真逆の人生を歩んでいる人物です。 そのパウロが、今、囚人としてローマへ舟で護送されています。 それだけではない。 その舟が暴風にさらされ今にも難破しかけて、身の危険にさらされている。 ついには、助かる望みさえ、見失われようとしている。 その時の舟の中の様子が、聖書の場面です。 舟の中には、276名の人たちがいたと記されています。 相当、大きな舟です。 エジプトからローマ帝国の中心地イタリアに向って航海している舟です。 エジプトの豊かな穀物が大量に運ばれていたことでしょう。 ユダヤ人、ギリシャ人、イタリア人おそらく貿易に関わるエジプト人もいたことでしょう。 船員、船長、そして船主もいたとされています。 そこに、パウロたち囚人とその同伴者、彼らを護送する百人隊長と兵士たちが入り混じっていたのです。 その中で、パウロはただ護送されていた囚人にすぎない、取るに足らない存在だったのです。 そのパウロに「パウロ、恐れるな。 あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。 神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」という主の声が迫ったのです。 海での事故を幾度となく経験してきたパウロ自身も、この激しい嵐の中で何の心配もなく寝ていたとは思えない。 恐れていたからこそ、「恐れるな」という主の呼びかけを必要としたのでしょう。 パウロあなたに託されているものは、皇帝の前に出頭するという務めだけではない。 一緒に乗船しているすべての命が託されていると主が励ましたのです。 主は、救われたパウロに、周りの命がかかっているぞと語りかけたのです。 パウロには、何の権威も、力も、身分もありません。 そのパウロが、今にも消え失せようとする舟の中で、中心となって人々を励まし始めたのです。 昨晩、自分が復活の主に励まされたとまったく同じように、同船している人々に励まし始めたのです。 主の励ましの言葉だけによって、身分を越えて、人種を越えて、辿る人生の違いを越えて、囚人でありながら堂々と語る者にされたのです。 紆余曲折はありましたが、主の顧みにより、全員が島に打ち上げられ命が救われたのです。
私たちの身の周りで、様々な災いと思える出来事が起こります。 その時に語りかけられる「恐れるな」という主のみことばは、限りのある「恐れ」を恐れるのではなく、「真の畏れ」に導くための呼びかけです。 主は、そのことを目覚めさせるために、ひとりでも救われた者の居る所にこそ、出来事を起こし、呼びかけ、働かれるのです。 沈没しそうな時、窮地に追いこまれた時にこそ、救われた小さな哀れな私たちの存在は大きいのです。 たった一人の祈り、信仰が神との交わりをつなぎとめる。 主がそこにおられる。 そこは、その人だけではない。 その周りに居る者もまた、神との交わりの中にあると主は言われるのです。 たった一人の祈りと信仰が、新しい命へと全員を辿りつくべき所に打ち上げ、教会を造り上げていくのです。