牧師館より 2013.11.24
2013-11-24
# 先週の教会学校の「親子クラス」でのことでした。 礼拝メッセージの聖書箇所である「不正な管理人のたとえ」をお話した直後の出来事です。 小学校4年生の男の子の返事です。 「正しいものが、悪いものと一緒にあるように思った」 思わず、言葉を飲み込みました。 これから、どのようにしてこの幼い子にイエスの難しいたとえを、そして「不正にまみれた富」についてお話しようかと思っていた矢先のことでした。 小さな口をついて出た最初の言葉を聴いて、抱きしめたくなる衝動にかられました。 私たちが住んでいる世界は、悪いものが一緒にあるどころか、道義的にも到底ゆるされないことばかりであるかもしれません。 しかし、この幼い魂は、未だ見たこともない世界をそのように語りました。 そして、お母さんが「見えていないところに、大切なものがある」と続きました。 わずかな時間の中に、イエスが働いてくださっていることを実感したひとときでした。 幼いころからみことばに接し、親子で育んでいる有様に、驚きとともに喜びに満たされました。 一刻も早く、ひとりでも多くの幼い魂に、一軒でも多くの家庭に、親子でイエスに出会ってもらいたい。 そのような思いで、今年のクリスマス・イブに、「親と子のクリスマス」をもって迎えたいと願っています。 (牧師 村上悦二)#
←「「選び取る必要なもの」 ルカによる福音書 10章38~42節 」前の記事へ 次の記事へ「「まことの闇とまことの光」 ヨハネによる福音書 1章6~18節 」→