秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「語り伝えられるもの」   マルコによる福音書 14章3~9節  

2013-10-20

 当時のユダヤでは、男性の食事の席に女性が入ってくることなど考えられない時代でした。 それだけに留まらず、その女性は食事の真っ最中に、持ってきた油の入った石膏の壺を割って、入っていた油をイエスの頭に注ぎかけたと言うのです。 何から何まで異例づくめの出来事です。 注いだ油は、非常に高価な香油であったと詳しく書かれています。 彼女が、なぜそんな行動をとったのかその理由が語られていません。 周囲の者で問いただす者もいません。 関心があったのは、ただ注がれた油のことだけでした。 失われたものだけに目を奪われ、彼女の背後にあるものに目を向けようとしないのです。 ただ失われたことだけを厳しくとがめる私たちの姿です。 
時は、いよいよ祭司長や律法学者たちがイエスを捕らえて殺そうとしていた時です。 この直後には、イスカリオテのユダがイエスを引き渡すために祭司長のところに出かけて行くという差し迫った時です。 弟子たちも、人々も、イエスの危機的な状況には無頓着です。 ただ、ひとりの女性だけが当時の常識を打ち破って、男性だけの食事の席に入って行く。 彼女は、高価なナルドの油を匂いが逃げないように大事に石膏の壺に入れていたのです。 大事な時だけに使う一回限りとでも言える「この時」に、彼女は石膏の壺を割ってイエスの頭に注いだのです。 この時イエスは、「私ははっきりと目撃をした。 私のために精いっぱいのことをしてくれた。 私にふさわしいことをしてくれた」と、彼女を祝福されたのです。 差し迫った時に、このたったひとりの女性のとった振る舞いが、これから十字架の上で命をささげようとするイエスの行いにふさわしいと、イエスご自身が目撃し、証言してくださったのです。 私たちがささげ尽くす精いっぱいのものを、「するままにさせておきなさい。 わたしに良いことをしてくれた。 できる限りのことをした。」と、イエスは言ってくださるのです。 「石膏の壺を割って香油を注いだ」行いを、みこころに適うものにイエスがしてくださるのです。 そして、彼女の全てをささげ尽くした姿は、「はっきり言っておく。 世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、記念として語り伝えられる」とイエスが言われたのです。 福音が語り伝えられるところでは、必ず福音をしっかりと受け止めた人間の姿が、周囲の非難の中にこそ記念として指し示されると言われたのです。 福音は、私たちの生きた姿を通して語り伝えられるのです。 



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