先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-08-29
聖書 マタイによる福音書5章21~26節
*イエスは、「殺すな。 人を殺した者は裁きを受ける」と言います。 神によって救われた尊い命である
から、殺されてはならない。 神のかたちに似せてつくられた命であることを忘れてはならないと言いま
す。 イエスは、私たち罪人を兄弟、「わたしの兄弟である、これらの最も小さな人のひとり」と呼びま
す。 殺すどころか、腹をたてる、ばかという、愚か者と言うことは、その兄弟の中にある「神のかたち」
を傷つけ破壊することであると言っているのです。
*私たちは、すべて神の裁きの前に立つ者である。 この裁きを私たちが受けるために、私が来たとイエスは言います。 イエスは、「神の国は近づいた」、救いが用意されたと言うのです。 だから、「祭壇」という礼拝の場に立って神の裁きと赦しを受ける前に、先ず出かけて行って何よりも早く兄弟と和解しなさい。 礼拝の場に立って神との和解を受ける者は、兄弟とも和解するはずであるとイエスは言うのです。
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