先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-07-04
聖書 マタイによる福音書3章13~17節
*バプテスマのヨハネは、「あなたからバプテスマを受けるべきなのに」と、イエスに逆であると疑問を
投げかけます。 しかし、イエスは「今は、止めないでほしい。 正しいことをすべて行うのは、我々に
ふさわしいことです。」と言います。 「正しいこと」とは、神のみこころにかなうことです。 罪のな
いご自身が、私たちと同じ罪人のところに立つということが神のみこころであるとイエスは言います。
私たちが神を分かるのではなく、神が私たちを捉えてくださり信じる者とさせていただくのです。 ヨハネは、イエスのとった振る舞いと意志に納得して、逆と思われることを信じたのです。
*イエスが公の生涯を歩むについて、バプテスマを受けることと、荒野で悪の霊から誘惑を受けることが、霊的な体験として必要だったのです。 このために、私たち罪人のなかに立ってくださった神、そば近くにおられる神を、イエスの姿を通して私たちは知るのです。
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