「パウロとアナニアの出会い」 使徒言行録22章6~16節
使徒パウロは、自分自身の生い立ちとイエスとの出会いを包み隠さず、「証し」として語ります。 自分の身に起きた「主の恵み」を語ろうとするのです。 イエスとの生き生きとした出会いを思い起こしながら、詳しく語っています。 その場所は、「旅を続けてダマスコに近づいたとき」だった。 その時は、「真昼ごろ」だった。 起こったことは、「突然、天から強い光がわたしの周りを照らした」不思議な出来事だった。 そのために「わたしは地面に倒れた」、「目が見えなくなってしまった」。 その時、「なぜ、わたしを迫害するのか」「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」という声を聞いた。 パウロは、この声は「わたしにしか分からなかった」と告白しています。 この体験は、パウロだけの特別な体験でしょうか。 今まで見えなかったものが見えるようになった。 聞こえなかった声が聞こえるようになった。 今まで考えてもみなかった方向を向いて、歩み出した。 パウロの体験は、今日、私たちが日常生活の中で主イエスの声を聞く体験と同じことなのです。 このパウロの体験に、ひとりの無名の人物アナニアが登場します。 アナニアは、このパウロに先だって救われた者、すでにイエスに召されたキリスト者でした。 アナニアは、このパウロを訪ねて行くようにイエスに命じられました。 パウロがどれだけ自分たちキリスト者を苦しめてきたかを、アナニアは十分知っています。 実際、パウロに合った瞬間に捕らえられ、命を奪われるかもしれない。 その恐れよりも、アナニアは、これだけ主イエスに従う者を徹底的に迫害してきたパウロを、なぜお赦しになるのか納得できないと主に疑問をぶつけます。 しかし、主は、アナニアを励ますのです。 「行け。 パウロは、わたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」と告げられたのです。 そのみ声を聞いて、アナニアは、人間の思いを捨てて、自分の理解を越えてパウロを受け入れたのです。 イエスご自身が選んだ器として、パウロを受け入れることができたのです。 主イエスの名を伝える主の業のために、アナニアは従ったのです。 このアナニアが運んできた主イエスの言葉によって、パウロは「神が選んでくださった」、「元通り見えるようになることを望んでおられる」ことを初めて知りました。 そして、「立ち上がってダマスコへ行け。 そこでしなければならないことは、すべて知らされる」と語ってくださった。「今、何をためらっているのです」と立ち上がらせてくださった。 主の名を伝える者として新しく踏み出して行く、新しいパウロの誕生の瞬間です。 このために、ダマスコに住む一人の無名の、先に救われたキリスト者が用いられたのです。 アナニアもパウロもイエスの声にただ従っただけです。 主のみ声に従った者どうしの出会いであったのです。 私たちには、アナニアと同じように、先に救われた者としての務めがあるのです。 「そこでしなければならないことは、すべて知らされる」 そこには、すでに「主の恵み」が用意されています。 この信仰に立って主の恵みを仰いで参りたい。 「主の恵み」は、いつも驚きです。