「ノアの信仰」 創世記7章6~24節
「ノアの箱舟」と聞いて、映画のように場面が浮かび上がってきます。 聞けば聞くほど、聖書の語るこの物語は神秘的でもあり伝説的でもあります。 天地創造のやり直しではないかと思わされるぐらい、雄大な神の出来事です。 しかし、この物語を、ただあらすじを聞くだけでは何も響きません。 ひと度、一人の人間として面と向かって神のみ前に立つならば、この物語の風景は一変します。 与えられた人生を担い歩む者として、神が直接語りかけるものとして聞き込む時に、この物語の豊かさが見えてきます。 イエスは、「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。 人の子が来る場合も、このようである。」と語っています。 ノアの時代、神はこの世の快楽に酔いしれている人々の姿を見て、「わたしの霊はこのような人々の中に留まるべきではない」と警告します。 しかし、神は、ただひとり「ノア」という人物に目を留められました。 「ノアは主の好意を得た」のです。 ノアは、時代を一変させるような指導者でも、何かを究めた人物でもなかった。 神に目を留められる理由のない、「主の好意を得た」人物でした。 しかし、ノアは「神に従う無垢な人であった」。 「神とともに歩む人であった」。 「神に従う無垢な人であった」から、仰天するような神の声を聞くことができた。 「神とともに歩む人であった」から、常識では考えられない大洪水が起こるという神の声に従うことができた。 実に、信仰は、神のみことばに聴くことから始まるのです。 神の言葉が、ノアを導きます。 ノアは、この神の言葉に従っただけです。 人々から笑われ、変人扱いされても、みことばを信じ、神が働かれる事を待ち望んだのです。 みことば通りに、ノアがノアの家族と動物たちとともに箱舟に乗り終えた時です。 箱舟の扉が閉ざされたのです。 ノアが締めたのではなく、 神が戸を閉じられたのです。 このノアの箱舟は、神ご自身が造り、神が招き、神が救いの中に閉じ込めた神の業です。 神から、「さあ、あなたもあなたの家族もみんな一緒に箱舟から出て来なさい」と言われたノアは、箱舟に乗り込んできた時と同じように、家族と一緒に箱舟から出て来たのです。 すべてが大水に覆われた後の新しい世界に、家族と一緒に踏み出したのです。 そして、家族とともに先ず祭壇を築いて神に礼拝をしたのです。 この感謝の礼拝は、家族とともになされた「洪水の後の遺された者」としての献身の祈りであったのです。 私たちの群れもまた、遺された神の家族として、一緒に新しい世界に踏み出して、その務めを果たしていきたいと願います。