~先週の聖書研究・祈祷会の恵みから~
2013-01-17
聖書 使徒言行録5章1~11節
*アナニアとサフィラの夫妻が、神に「ささげる」という行いを、聖なる形を装わせて自分たちでつくろうとします。 自分たちの土地を売って、代金をごまかしてその一部だけをささげたアナニアとサフィラでした。 聖書は、この行いに隠れたアナニアとサフィラの思いを、人間の側からではなく、神の側から鋭く見つめます。
*ペトロは、「なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いたのか」「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」「主の霊を試すとは、何としたことか。」と伝えます。 驚くべきペトロの、聖霊に満たされた見抜く力です。 見抜く力のないところでは、罪は隠れます。 サタンは、この隠れたところを住みかとしているのです。 ですから、私たちは神を恐れ、聖霊に満たされる必要があるのです。
←「「信仰がなければ知ることのない誘惑」 ルカによる福音書4章1~13節」前の記事へ 次の記事へ「「イエスに見出された弟子たち」 ヨハネによる福音書1章35~42節」→