先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-09-26
聖書 マタイによる福音書6章1~4節
*イエスは「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」と言います。 問題は、誰が義としているか、誰の義であるかということです。 イエスは、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われました。
*イエスは、「人の前で行わないように注意しなさい」と言います。 私たちは、どうしても「人の前」を
気にするのです。 自分の生涯の総決算は、「神の前」に立つ時であると知っています。 でも、私たち
は、「人の前」の決算にびくびくして一喜一憂します。 私たちは、この隠れておられる「神の前」で生
きているのです。 むしろ、この神にすべてを知ってもらう。 気づいていない隠れたところ、気づいて
いても隠そうとしているところを差し出し、赦していただく。 神が正しいとするところ、隠れた神に身
を委ねていく。 そうすれば、隠れたことを見ておられる父が報いてくださるとイエスは言います。
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