先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-08-08
聖書 マタイによる福音書5章1~12節 その3
*「憐れみ深い人々は幸いである。 その人たちは憐れみを受ける。」 人が人を憐れむことは難しい。 自
分が赦されたという体験がなければ難しいのではないでしょうか。 神の憐れみこそが、私たちを憐れみ深くする。 すでに神に憐れまれた者たちにイエスは語っています。
*「心の清い人々は幸いである。 その人たちは神を見る。」 内面的な心の状態だけを言っているのではありません。 自分の清さに囚われてはなりません。 神との関係において「二心のない」、「心が定まっている」ことを言うのです。 ですから、神に向って心の清い人々は神を見ると言っているのです。 まさに、信仰そのものが聖書の言う「清い心」です。 神の前に心が定まっている者が、神を見るのです。
*「平和を実現する人々は、幸いである。 その人たちは神の子と呼ばれる。」 十字架と復活によって与えられた神との和解を得た者が、「神の平和」をつくりだすと言います。 私たちは、この神との和解をもたらす聖霊が与えられている神の子です。 神と同じ命、同じ働きを託された者が、神のみことば、神の平和を運ぶのです。
←「私たちの教会で、結婚式が行われました」前の記事へ 次の記事へ「「残された切り株」 イザヤ書6章1~13節 」→