先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-04-25
聖書 使徒言行録17章16~34節
*アテネでの宣教は、パウロの当初の計画にはありませんでした。 逃げ延びて辿りついた所です。 しかし、パウロはそのような所でも、じっとしていません。 アテネの町があまりにも偶像に満ちあふれていたことに、憤りを覚えたからです。
*パウロは、異教の神が祭られていた所、世界に誇る知識人が集う所の真ん中に立って、説教を始めたのです。 パウロは、世界とその中の万物を造られた神を語ります。 このすべてを造り出した神が、人間のあらゆる営みの中に生きておられる。 神を探し求めさえすれば、いつでも神を見出すことができると語ります。 このことを知ろうとせずにきた無知を、神は見過ごされてきたのである。 しかし、今や、イエス・キリストというたった一人の方によって、真の神が明らかにされた。 もはや知らないとは言えないと言うのです。
←「「私たちの感謝と献身」 マルコによる福音書12章13~17節 」前の記事へ 次の記事へ「「イエスの祈りと共に生きる」 ヨハネによる福音書17章20~26節 」→