私の証し
2014-03-09
# 新生讃美歌が皆様の願い、祈り、献金によって与えられましたこと感謝いたします。 赤ちゃんの時から教会に通っていた私にとって、讃美歌の思い出はクリスマスの時、幼稚科で「おほしがひかる」を踊りを付けて歌ったことと、教会で歌う讃美歌が大好きで、家に帰ってからも「こどもさんびか」のはじめから終わりまで知っている歌を何度もよく歌っていたことです。 小学校一年生の頃、オルガン教室に通っていたのですが、ある時、母に「今日ピアノが届くよ」と言われ、まもなくピアノの先生について習い始めました。 それは、後に知ったのですが、姉と私に、奏楽奉仕をしてほしいという母の願いからでした。 数年後、中学科礼拝での奏楽から始まり、教会学校そして礼拝奏楽をさせて頂き、今に至っていますこと神様に感謝いたします。 愛唱讃美歌は何曲かありますが、その中に550番「ひとたびは死にし身も」があります。 クリスチャンホームで育った私が、社会人になった一年目、社会との異和感と厳しさに直面し、自分の未熟さと無力さを痛感し、打ちのめされた時、また、ある問題の中、イエス様に「十字架につけろ」と叫んだ群衆は、まさにこの私であったと自分の罪を示された時、
『ひとたびは死にし身も 主によりていま生きぬ・・・昼となく夜となく 主の愛にまもられて』
この讃美歌に慰め励まされ、新しく生きる者とされ、また歩き出す力をいただいた曲です。 これからも皆様と共に賛美し、神様への感謝と喜びを賛美する毎に深く味わいたいと思います。 #
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