牧師館より 2014. 3. 2
2014-03-02
# 秋田に参りまして、水がおいしい。 お米がおいしい。 野菜が瑞々しい。 食事が楽しいのです。 企業戦士であった時にはほとんど食事に時間をかけない、いわゆる早食いでありました。 食事に、あまり興味がなかったのかもしれません。 変われば変るもので、おかげで少し体重が増えてきました。 聖書を読んでいますと、食事が特別の意味をもっている箇所が多々あります。 主なる神からいただいた食べ物を、神に感謝しながら賛美と共に家族を挙げて食べています。 主なる神に対する忠実な礼拝であります。 ともに分かち合って食べる。 その時と場所を一緒に分かち合って味わう。 目を合わしながら、言葉を交わしながら、喜びを味わう。 からだ全身で味わいながら、主とともにある交わりを思うのです。 この世にも確かに似たような交わりが多くあります。 その背後には、打算や思惑や自分がある。 自分が痛まない範囲での分かち合いがあります。
私たちの教会に新しい讃美歌をと願いが起こされました。 そこで、自由献金を始めようと開始してからわずか半年です。 教会員全員に新しい讃美歌が届きました。 具体的なものを分かち合う喜びです。 礼拝後の交わり、聖書の学び・祈りの会の後の交わりにも食べ物が、そして証しが分かち合われています。 すべてのものが主イエスにあって分かち合われる。 そのような群れでありたいと、心から願います。 (牧師 村上悦二)#
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