先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-06-27
聖書 マタイによる福音書3章1~12節
*バプテスマのヨハネが語ったことは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということでした。 単なる意
識改革ではありません。 的外れの状態から立ち戻って根本的に方向転換して、神に立ち帰ることです。 そ
して「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言います。 しかし、忘れてはならないことは、悔い改めは神
の業であることです。 良き実を与えられる事も、神の賜物です。 本当の悔い改めが与えられる事が、信
仰の実です。 なぜなら、そこには、神の赦しという恵みがあるからです。 本当の悔い改めには、この神
の赦しという喜びがあるのです。 ヨハネが天の国が近づいたと言っているのは、この神の赦しという恵み
が支配される国が近づいたと言っているのです。
*私たちにできることは、イエスの道備えだけです。 この務めを知る者には、謙遜があります。 ヨハネ
は「わたしは喜びで満たされている。 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と言っています。 自
分を主とする限り、イエスというお方は訪れる事はありません。
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