先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-03-28
聖書 使徒言行録14章8~20節
*まだ一度も歩いたことのない足の不自由な男は、パウロが語る言葉をじっと聞いていた。 この男は、諦めていなかった。 望みを持ち続ける意志を失っていなかった。 宿命に立ち向かう意志という「いやされるにふさわしい信仰」が、神の恵みにより与えられていたのです。 難を逃れて来たパウロという福音を「宣べ伝える者」が、「いやされるにふさわしい信仰」が用意された「聞く者」のところに遣わされたのです。 信仰は、聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
*執拗に追いかけてきたユダヤ人たちによって、パウロは石を投げつけられた。 しかし、死んだと思われたパウロが弟子たちに取り囲まれると、再び「起き上がって町に入って行った」とあります。 キリスト者は、弱く打ち倒される者です。 しかし、同じキリスト者によって取り囲まれて励まされる存在です。 そして、主イエスのみ手によって抱きかかえられて、再び起こされるのです。
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