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「結びの言葉」 ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節

2023-02-19

 パウロはガラテヤの教会の人たちに、この手紙の「結びの言葉」として、「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」と言います。 今までは口述筆記で人に記してもらっていたが、今やどうにも気持ちが伝わらないので「こんなに大きな直筆の字で書いている」と言うのです。 「わたしを神の使いであるかのように、またキリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました。」(4:14)と記しているように、パウロが語る「キリストの福音」を従順に受け入れてくれたガラテヤの人たちが今や、「エルサレム教会から派遣されてきた伝道者たち」に惑わされて心変わりをしてしまった。 「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしはもう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」(4:19)と言うまでになった。 異邦人であるあなたがたに「割礼」という儀式を、「ユダヤ主義キリスト者たち」が受けさせようとユダヤの律法を強要している。 パウロはこのことを、「ほかの福音に乗り換えようとしている。 わたしは、あきれ果てています。」(1:6)とまで言うのです。 できたばかりの当時のエルサレム教会は、まだユダヤ教ナザレ派、ユダヤ教イエス派と言ったところでしょうか。 ガラテヤの教会でも同じように、イエスを信じるユダヤ人信徒がユダヤの律法をないがしろにしているとの疑いや誹謗中傷を避けるため、その矛先をかわすために「割礼」を異邦人たちに強要し、十字架の福音を曲げていることをパウロは知り、「キリストの十字架の福音」の危機を感じ取ったのです。 14節にパウロは、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものがあってはなりません。」と言います。 「キリストの十字架のゆえに迫害されたくない。 迫害を一身に受けているパウロのようになってしまう。」と思っている人たちが、見せかけの形だけのユダヤ化を受け入れるようにと惑わしている。 「しかし、わたしがユダヤ人から受けている迫害は、キリストの十字架のゆえである。 キリストの十字架は、ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが関係なく、すべての人を無条件に受け入れる神の恵みの出来事である。 行いによって律法を守ることは、もはやその救いの条件ではない。 神の恵みとして感謝して受け取ることが救いの条件である。」と堂々とパウロは言うのです。 この「ユダヤ主義キリスト者たち」を、「肉において人からよく思われたがっている人たち」とパウロは表現します。 パウロの言う「肉」とは、人間が自分の力で成し遂げようとするすべてのものを言うのでしょう。 「人からよく思われたい人たち」は、成し遂げようとしている自分を誇ります。 しかし、パウロは、「十字架だけを誇る」のです。 キリストのゆえに、キリストのために生かされている自分をパウロは肯定するのです。 自分のために「わたしに代わって」架かってくださった「キリストの十字架」だけを誇るのです。 「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされている。 わたしは十字架に、イエス・キリストとともにつけられている。」と告白するのです。 パウロの言う「十字架」とは、イエスの歴史的事実を指し示すだけでなく、自分自身が新しくつくり変えられた事実を語っているのです。 15節に、「大切なのは、割礼の有無は問題ではなく、新しく創造されることです。」と、結びの言葉として語るのです。 手紙の最後に、「新しく創造された神の民の上に平和と憐みがあるように。」と祝祷を祈り、「わたしは、イエスの焼き印を身に受けている。」とキリストの福音の僕であることを宣言し、ガラテヤの「兄弟たち」に向けて、イエス・キリストの恵みがあなたがたの霊と共にあることを、父なる神に執り成しの祈りをもって締めくくるのです。 



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