秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「赦し合う開かれた教会」 マルコによる福音書9章38~41節

2023-01-29

 12弟子のひとりヨハネがイエスに、「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」と報告します。 主イエスの名は、用いる資格のある者がふさわしく用いられなければならない。 主イエスの名を汚す者は、用いることをやめさせなければならない。 自分たちが与り知らない者が、主イエスの名を勝手に用いてはならないとヨハネは思ったのでしょう。 このヨハネの行動と報告に対するイエスの返答です。 「やめさせてはならない。 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」とイエスは答えるのです。 このイエスとヨハネのやりとりから、イエスのやさしい寛容を指し示している。 いたずらに偏狭にならないよう、弟子たちをイエスが戒めたものである。 自分とは意見の異なる者を追い出さず心を開きなさい。 やめさせないで受け入れない。 それが「赦し合う開かれた教会」であると語る方がおられます。 あるいは、「己に厳しく、人には優しく」という道徳、「敵の敵は味方である」という格言を語っておられるのでしょうか。 ここには、父なる神の大きなみ業、み心を果たす為に、エルサレムに向けて歩み出しているイエスの姿があります。 三度にわたるイエスの十字架と復活の予告にもかかわらず、無理解のまま、不信仰のまま、イエスに従っている弟子たちの姿もあります。 イエスは弟子たちに、今まで「隠されていた、秘められていた」ことを、いずれ訪れる「別れ」を意識しながら教えておられるのです。 しかし弟子たちは、十字架と復活の出来事、聖霊の働きが起こされるまで、イエスが語られたみ言葉を受け取ることはありませんでした。 イエスに対する背信と絶望のうちにイエスが語っておられた神の働きを体験し、ついにイエスのみ言葉のひとつひとつがよみがえってきたのです。 イエスに褒められると意気揚々と報告したヨハネに、「わたしの名を使って悪霊を追い出す奇跡を行うことを、やめさせてはならない。」 「彼らは、わたしたちに逆らわない者、わたしたちの味方なのである。」 「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」と語られた言葉もそうなのでしょう。 イエスは、ヨハネの振る舞いを否定したのではなく、やさしく諭しておられるのです。 イエスの念頭にある「悪霊を追い出す働き」とは、からだの癒しだけではありません。 その人の存在、周りの人々との交わりの回復があります。 新しく生きる命の力が起こされています。 その働きこそ、神の力の働きである。 神の国の訪れである。 勝手にイエスの名を借りて、祈祷師たちが万が一起こすことができたとしても、それが神の大きなみ心のうちにあるなら奇跡は起こるでしょう。 そうすれば、その場にいる人々もまた主イエスの名を受け入れる。 むしろ、イエスは喜んでおられるのではないでしょうか。 これから、「十字架、復活、聖霊の働き」へと続いていく救いの出来事の予兆である。 だから、ヨハネあなたが自らの正しさによって止めてはならないと諭されたのです。 弟子たちは、「イエスの名」の尊さ、重さを十字架の後に知ったのです。 イエスはそうなることが分かっていたゆえに、悪口を言わないだけのささやかな味方を赦し、何も分かっていない弟子たちも赦し、十字架の後、イエスご自身のからだなる教会の群れをつくり上げるために用いられたのです。 いずれ、ご自身の名の「尊さ、重さ」が分かるようになる。 「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」という言葉こそ、後の弟子たちを見据えて語られたイエスの約束であったとよみがえってきたのでしょう。 このイエスのご愛によって築き上げられる教会が真の「赦し合う開かれた教会」です。



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