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「神とキリストの恵みと平和、神の栄光があるように」ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節

2022-10-30

 パウロの記した数多くの手紙には、共通している「挨拶」の言葉があります。 今朝の聖書箇所にある「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」という祈りの言葉と、「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように。」という祈りの言葉と、「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という自己表現の言葉です。 この頃のキリスト者の福音宣教には、大きな障害がありました。 ユダヤ教からの迫害により、キリスト者たちはエルサレムから離散させられていきました。 その一方で、この小さなキリスト者の群れの中では、先祖からの伝承である律法を大事にするユダヤ主義的なキリスト者との戦いがあったのです。 割礼を受けなければ救われない、異邦人と一緒に食事をすることはできないなど、律法の戒めに縛られていたユダヤ人キリスト者たちとの戦いがあったのです。 イエスの12弟子でもない、生前のイエスを知らないはずのパウロ、エルサレム教会からの推薦状もない、何の権威も与えられていなかったパウロを、彼らはどうしても神から遣わされた「使徒」であると受け入れることができなかったのです。 律法を守るということに熱心でないパウロの語る福音、行いによらずただイエス・キリストを信じる信仰だけによって救われるとする福音を受け入れることができなかったのです。 これらの批判にパウロは一向に引きません。 「神がわたしを、母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった。」とまで言います。 パウロの語る福音は、「人を救うのは神である。 私たち人間の側の行いが、人を救うのではない。 人の権威が人を救いに導くのでもない。 神の働きがなければ人を救うことなどできない。 神はご自身のみ心を果たそうと、イエス・キリストを遣わして私たちを救い出そうとされた。 イエス・キリストは神のみ心を悟り、与えられた地上の生涯を父なる神に従順に従おうとされた。 私たちの過ちのためにご自身を捧げてくださって、私たちに替わって神の裁きを引き受けてくださった。 神はこうして、主イエス・キリストの恵みと平和へと招いてくださったのだ。」というものです。 この父なる神を、「キリストを死者の中から復活させた父である神」とパウロは表現するのです。 このイエス・キリストの十字架の死と復活に現わされた福音が唯一の福音であり、別の福音に惑わされてはならないと警告するのです。 私たちの側の行いや状態に関係なく、ただ神の憐れみ、神の恵み、神のご愛により、受け取るにふさわしくない者が何の理由も資格もなくそのままの姿で神に引き受けていただくという「恵み」と「平和」を、この地上で赦される限り日々新しく受け取っていくのです。 「恵み」とは、キリストが十字架の死と復活によって与えてくださった神の裁きからの「赦し」でしょう。 「平和」とは、この世の「終わりの日」にしか味わうことのできない神の安息に憩うことをこの地上でも味わうことのできる「交わり」のことでしょう。 この神のもとから注がれる「恵み」と「平和」に満たされて生きるという確信が私たちの心の「平安」なのでしょう。 パウロは、人々からでもなく、人を通してでもなく、神によって召された者だと言います。 この手紙の結びの言葉に、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。 大切なのは、新しく創造されることです。 わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。」と結んでいます。 パウロが語ってきた福音の真理を曇らせる者に対する、「キリストの僕」としての激しい反発があります。



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