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「時が満ちるに及んで」 エフェソの信徒への手紙1章3~10節 

2022-08-07

 この手紙の差出人は、牢獄に捕らえられていたパウロです。 手紙の受取人は、このパウロの身に起きていることを心配し動揺している、パウロの福音宣教によって起こされた諸教会の人たちです。 この手紙は、「わたしたちの父である神は、ほめたたえられますように。」と、「神への賛美」によって書き始められています。 その理由としてパウロは、「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくれた」からである。 「神は、わたしたちを愛して、聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになった」からであると、その賛美の理由を述べるのです。 神さまから注がれる天からの「霊的な祝福」と、神さまの「ご愛による選び」があったからこそ「神への賛美」を語るのです。 「神が愛する御子キリストによって与えてくださった輝かしい恵み」、「神の豊かな恵み」とパウロは表現しています。 「すべての知恵と理解を与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。」 「前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものであることに気づかされました」と告白している通りです。 パウロが盛んに「キリストにおいて」と語っている「キリストの出来事」を最初に知らされたのは、マリアとヨセフという小さな二人の存在に対してでした。 世界の片隅の出来事でした。 ふたりとも疑心暗鬼のまま、それでも神が語ることであるならと受け入れていったところにこの「キリストの出来事」は訪れたのでした。 その福音の知らせは、神殿に参ることすらできない羊飼いたち、神のもとから最も遠いと思われていた人々に届いたのでした。 マリアとヨセフがユダヤの儀式に従って、生まれたばかりの赤ちゃんイエスを携えて神殿にお参りした際に、神殿の年老いた預言者シメオンに出会うのです。 シメオンはその赤ちゃんを一目見て、幼子を抱き、神を讃えて「わたしはこの目であなたの救いを見た。 わたしは安らかにこの地上の生を終えることができる。」と幼子イエスの父と母に語るのです。 このシメオンの言葉に、不安と戸惑いに包まれていたマリアとヨセフはどれほど励まされ、神の業が自分たちの身に起ころうとしていることに気づかされたことでしょうか。 神の「秘められた計画」は、本当に世界の片隅の小さな一人の存在、それぞれの短い生と死、生き様を神はご自身の御心と計画に沿ってつなぎ合わせてくださるのです。 その当事者である一人一人の実体験によって、「神への賛美」がたとえそれが小さくとも、その驚きと喜びと感謝によって呼び起こされ、讃え続けられ、結び合わされていくのです。 「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、天にあるものも地にあるものもすべてのものがキリストのもとにひとつにまとめられるのです。」とパウロは言います。 一人一人に注がれるこの世にない「霊的な祝福」、前もって定めてくださる「神の愛による選び」は一人一人の救いのためだけでなく、ご自身が崇められるため、「神の秘められた計画」を果たされるためのものなのです。 そのために神は、「イエス・キリストにおいて、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようとお選びになった。 イエス・キリストによって、神の子にしようとお定めになった。」のです。 清くない者、汚れた者をそのままの姿で受け入れ、引き受け、神の御子イエス・キリストの流してくださった尊い血だけによって置き換えてくださるのです。 イエス・キリストは、私たちの小さな生涯に共に生きてくださっているのです。 私たちはこの地上に囚われることなく、神のお定めになっているところに向かって、神の国の希望と確信をもって、自分にしか背負うことのできない務めを背負って次に選ばれた者に神の「祝福」と「選び」を賛美でつないでいくのです。



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