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「離れず、置き去りにしない神」 ヘブライ人への手紙13章1~5節 

2022-01-02

 ヘブライ人への手紙は名宛人もなく手紙の挨拶もありませんが、当時の様々な迫害や困難に出会い自らの弱さや貧しさに気づいて苦しんでいる信徒たちへの励ましの手紙となっています。 最初に、「兄弟としていつも愛し合いなさい。」と言います。 他の聖書の翻訳では、「兄弟愛を続けなさい。 兄弟愛をいつも持っていなさい。」となります。 ここで言う「兄弟」とは一般的な意味ではなく、イエスご自身が「兄弟と呼ぶことを恥としない」と言われた信徒たちのことです。 私たちのことです。 父なる神によって遣わされたイエスご自身に現わされた「神のご愛」に結ばれた神の民のことです。 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。 わたしの命じることを行うなら、わたしの友である。 わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」と言われた、イエス・キリストにある兄弟姉妹のことです。 そうであるなら、「兄弟愛を持ち続ける」、「互いに愛し合う」とは、神の民に等しく注がれている「神のご愛」によって満たされ、そこに留まり離れることがないようにということになるでしょう。 「わたしはまことのぶどうの木である。 わたしにつながっていなさい。 わたしの愛に留まりなさい。 わたしのもとを離れることがないように。」とイエスがおっしゃっている通りです。 この手紙では、「イエス・キリストが、神の国に入れるよう新しい生きた道を切り開いてくださった。 私たちと同じ血を流し、肉を裂かれてくださって、新しい命を与えられて、私たちが父なる神の家に入れるようにしてくださった。 父なる神によって、その家を支配される大祭司となってくださった。」と言うのです。 そこに神のご愛がすでに示されている。 そのご愛から離れることがないようにと、この手紙は勧告しているのです。 
この神のご愛に憩うなら、もはや「旅人をもてなすことを忘れることはないだろう。 牢に囚われている人たちを思いやるであろう。 虐待されている人たちのことをも忘れないであろう。 神によって結ばれた家庭をも、決して疎かにしないだろう。 ましてや、この世の金や富に目を奪われることはないだろう。」と言います。 もし神のご愛なしに、イエス・キリストの苦しみや悲しみの一端を担うことなしにこれらの言葉を聞くなら、至極当然のことに思えるでしょう。 しかし、誰もがそうしたいと望みながら、その通りに生きていくことは難しいのです。 先行きの見えない厳しい現実であるからこそ、私たちは過ちを繰り返し、挫折し、絶望し、やり直し、学びながら養われていきます。 心から願うことができない自分の弱さや貧しさを見つめさせられます。 自分の力ではできないことばかりです。 神のご愛に触れなければ味わうことのできないことばかりです。 惹いては、苦しみや悲しみを忘れるために、神ならぬものに目を奪われ、拠り頼んでしまうのです。 ついには、神に背を向け、招きに目を閉ざし、耳を閉ざし、振り向こうとしなくなるのです。 悲しい現実です。 イエスは、「いったいどこに立っているのか。 何を見つめているのか。 神のご愛によって赦され、その注がれたご愛を受け取って生きていきなさい。 自分も、もう一人の隣人も、同じ神のご愛を必要としている存在であることに気づきなさい。 その人とともに生かされていきなさい。 このご愛を背負って生きるなら、この世にない恵み、喜びを味わうことになる。 わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない」と言われるのです。 これが神の約束です。 これこそ、神のご愛そのものです。 これ以上のものを、私たちは望むのでしょうか。 創造主なる神は、「わたしの安息に与からせる。 最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となる。」と言われているのです。



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