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「御計画に従って召された者たち」 ローマの信徒への手紙8章26~30節

2021-06-27

 エレミヤ書29章には、壮大な神の救いのご計画が記されています。 ユダの国がバビロンの国に占領され、ユダの王も、主だった家臣、兵士、職人たちも大勢バビロンに連れ去られたことを嘆いている時です。 驚くべきことに、預言者エレミヤによりバビロンに連れ去られた人々へ、「神が、エルサレムからバビロンへ捕囚としてユダの人々を送ったのだ。」と伝えられたのです。 神はたとえそれが敵と思われるところであったとしても、ご自身の民を敵に渡してまで救い出されるのです。 「わたしが、あなたたちを捕囚として送ったその町の平安を求めなさい。 その町のために祈りなさい。」とまで言われるのです。 もう済んでしまったから諦めなさいと言わんばかりの言葉です。 「二年のうちに、バビロンは滅ぼされ、バビロンに連れ去られた人々は必ず戻ってくる。」という偽預言者や占い師たちにだまされても、惑わされてもならない。 神のみ心である御計画とは異なる。 今、災いと思われているかもしれないバビロンの地にあること、バビロンの支配にあることは、神のみ心であり神の御計画である。 あなたたちのために立てたわたしの計画は、災いの計画ではない。 将来と希望を与えるものである。 バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。 わたしの恵みの約束を果たす。 あなたたちをこの地に連れ戻す。 そのとき、あなたがたがわたしを呼び、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うだろう。 わたしはあなたたちを追いやったが、そこから呼び集め、追い出した元の場所に連れ戻す、帰らせると言われるのです。 
この70年の時の経過は何であったのでしょうか。 「2年のうちには」という私たちの心地よいはかない希望から目を覚ますためでしょう。 目に見えるものにすがろうとする私たちの本当の姿を見つめるためでしょう。 私たちを憐れんでずっと見守って、我慢して待ち続けてくださる神の忍耐の時でしょう。 神の救いの御計画が果たされる時まで、ことごとく神のみ心でないものが次々と砕かれていく。 私たちの描く希望が絶望に替わり、神の恵みによって全く新しいものに造り変えられていく。 不可能を可能とする、無から有を造り出す神の御計画が果たされるのを知らされるのです。 言われたとおり、エルサレムは崩れ去りました。 しかし、バビロンはペルシャ帝国に占領され、ユダの国の人々は解放されエルサレムに戻されたのです。 今日の聖書箇所に、「同様に、霊も言葉に表せないうめきをもって執り成している」と言います。 このうめきは、被造物やイエスを信じていこうとするキリスト者がうめいている呻きとは異なり、「私たちの弱さに寄り添って助けてくださる」ものです。 霊は、言葉に言い表せないうめきをもって、私たちの弱さのゆえに執り成しの祈りをしてくださっているのです。 この「霊」こそ、十字架の上に架け上がってくださって、私たちが味わっている弱さや苦しみや悲しみを一人で背負って,一身に神の裁きを受けておられるイエス・キリストの姿でしょう。 姿を変えて、今もなお私たちの内に宿ってくださっている復活者イエス・キリストでしょう。 父なる神は、霊なるイエス・キリストが執り成し続けていることをすべてご存じであると言うのです。 私たちの味わう試練や苦しみや悲しみは神の御計画のうちにあるものです。 意味あるものです。 そのために召し集められた私たちです。 「万事が益となるように共に働く」とは、最後にはすべて神の救いの御計画通りに果たされていくという神の宣言です。 その「御計画に従って召し集められた者たち」が、「義とされる」、「栄光を与えられる」のです。 神の恵みによって、無償で神の前に正しい者とされる。 神がその人に現れ、共に歩み、働かれ、御子に似た者とされるのです。 それが神の約束です。 



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