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「この世で戻る場所」 使徒言行録4章23~31節 

2021-05-23

 今までびくびくして片隅の部屋に閉じこもる小さな存在であった弟子たちは、様変わりの堂々とした姿を見せています。 エルサレム神殿の境内に運ばれてきた、生まれながら足の不自由な男をペトロとヨハネはじっと見て、「わたしたちを見なさい。 わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。 ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と、彼の右手を取って立ち上がらせたのです。 「イエス・キリストの名によって」とは、イエス・キリストの力を呼び出すことによってということです。 当時のユダヤ社会では、名前こそその人の権威、力、人格の象徴でした。 その立ち直った男がペトロとヨハネに付きまとっている姿を示しながら、二人は「生まれながら足の不自由なこの人が歩き回ったり、踊ったりして神を賛美しているのは、イエス・キリストの名によって救われたのです。 これはその名を信じる信仰によるものです。」と大胆に語り出したのです。 これを知ったユダヤの指導者たちは束になって、この二人を捕らえて牢に入れます。 二人に尋問と警告を与えるためです。 人々の病いを癒す、神殿で教える、そして、ユダヤの指導者たちに問い詰められる。 この姿こそ、まさにイエスご自身の姿です。 その尋問に、「わたしたちが彼の病いを治したわけではない。 イエス・キリストご自身がなさったことである。 あなたがたが十字架で殺したイエス・キリストが、神によってよみがえらされて今も働いておられる。」と大胆に語ったのでした。 どう処罰してよいか分からなかったユダヤの指導者たちは、「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように」と命令し、脅して釈放したのです。 
 その釈放された二人が先ず赴いたところが、仲間のいるところでした。 一同がひとつとなって集まって祈っていたところ、一人一人の上に聖霊が降り語るべき言葉が与えられたところです。 釈放されたペトロとヨハネが先ず行ったことは、「厳しい尋問に晒された時にも、わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではおれないのですと答えた。」という「証し」でしょう。 「何の権威で、だれの名によってするのかと問われて、イエス・キリストの名によってと答えた。 イエスこそメシアである。 ほかのだれによっても救いは得られないと答えた」という「証し」でしょう。 自分たちが受けたこと、命令されたことの一部始終を「残らず」語り、その苦しみと喜びを分かち合ったことです。 その「証し」を聞いた仲間たちも、戻って来てよかったと釈放された二人を迎えたのではありません。 「仲間たちが心を一つにし、神に向かって声をあげた」と言います。 「あなたは全地の造り主です。 あなたが預言者たちを通して語られたみ言葉通り、御手と御心によってあらかじめ定められていたことをすべて行ってくださった」と、確信をもって神に信頼の喜びの声をあげたのです。 精いっぱいの信仰告白です。 これに神は応えて、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、わたしたちが思い切って大胆にみ言葉を語ることができるように。」という「祈り」を彼らに与えられたのです。 自分たちを危険から守ってくださいとか、どうしたらよいのでしょうかという「祈り」ではありません。 「大胆にみ言葉を語ることができるように。 イエス・キリストの名によって病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるように」と期待して祈っているのです。 この「祈り」が終ると、「一同の集まっていた場所が揺り動いた。」と言います。 この喜びは、神のご計画がこの自分たちのうえにイエス・キリストの名によって刻まれようとしている喜びです。 そのために「信仰」と「祈り」が必ず与えられるのです。 戻って行く場所があるのです。 そのことに感謝して、「信仰」が与えられるよう、「祈り」が与えられるよう、神に向かって「信仰」と「祈り」の声を一緒にあげているのです。



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