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「神がこれからなさろうとすること」 創世記41章25~36節

2020-07-26

 私たちの人生を振り返った時、あの時こそ神に備えられた「時」であったと気づかされることがあります。 神さまどうしてですかと問いながらみ心を追い求めて祈る人にとっては、目からうろこが剥がれ落ちるような時があるのです。 自分だけに頼り独りだけの道を歩んでいる人にとっては、単なる偶然に見えるでしょう。 それを運命と吐き捨てる人がいるかもしれません。 偶然と偶然のぶつかり合いのなかで、私たちは翻弄されているのでしょうか。
 エジプトの王ファラオとヨセフの出会いは、ファラオが不吉な夢を見た後でした。 その夢の説き明かしを、だれも進言する人がいなかった時です。 宮廷の給仕役の長がほのめかした「ヨセフ」という名前を、ファラオが聞いた後です。 わらをもすがる思いで、ファラオに聴く耳が与えられた時でした。 すべてが整って、ヨセフの夢の解き明かしがファラオの耳に素直に入り込むようになったとしか言いようがありません。 だれがファラオに夢を見させ、ヨセフの夢の解き明かしを聞かせたのでしょうか。 だれがヨセフに夢の解き明かしをさせているのでしょうか。 
 「聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが」というエジプトの王ファラオの呼びかけに、奴隷の身であるヨセフが「わたしではありません。 神が告げておられるのです。 神がこれからなさろうとしていることをファラオにお告げになったのです。 ファラオにお示しになったのです。 神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるのです。」と大胆に応えるのです。 エジプトという異国の地で牢獄に捕らえられている一人のイスラエルの囚人が、エジプトの王に向かって、この国を治めておられるのは王ではなく神である。 これから起こるエジプトの将来は、ファラオの手の内にあるのではなく、神のみ手の内にあるとまで語り出すのです。 
 この後の創世記を読み進めば、この大豊作とひどい飢饉が何のために起こされたのかが見えてきます。 ファラオが不吉な夢によって変えられた。 一人の囚人の言葉でさえも耳を傾けるまでに神は備えられた。 ヨセフは神によって与えられるこの「夢」によって兄たちに捨て去られ、荒野の穴に投げ込まれ、エジプトに売られて故郷を捨てざるを得なかったのです。 そこで、侍従長に奴隷として仕えなければならなくなった。 侍従長の妻の偽証によって、牢獄に囚われることになった。 そこから、「夢」のゆえにエジプトの王の前に引き出されることになったのです。 聖書は、「主がヨセフと共におられたので。 ヨセフがすることを主がうまく計られたので。」と再三にわたり記しています。 神のご計画が人を選び、人の計画に知恵と力を与えて整えさせるのです。 神は準備をして、その「時」を待っておられるのです。 ですからヨセフは堂々とファラオの前で夢の解き明かしをしただけでなく、その周到な準備の方策まで大胆に語ることができたのです。 「夢」を解き明かす者は、神の声に耳を傾ける者です。 エジプト人のようにエジプトという異国の地で生き、イスラエルの神を忘れることなく、イスラエルを救い出すために用いられたヨセフの生涯でした。 ヨセフに、主がともにおられたので、神が片時もヨセフを忘れることがなかったので、ヨセフがこれまで奪い取られ、失ってしまったものが神によって回復させられた。 それにとどまることなく、神ご自身のご計画のために用いられた。 ヨセフの神はまた、私たちの神です。 ファラオに夢を見させた神が、ヨセフを選んで整え、「神の時」を待ってふたりを引き合わせた。 この世の権力や権威を、神の救いの業のために用いられたのです。 一人の王が一人の囚人によって支えられるという、「神の力」がここに示されたのです。



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