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「新しい霊の目が開かれる」 使徒言行録2章29~36節

2019-09-29

ペトロは至る所でそそっかしい振る舞いをして、イエスによくたしなめられていました。 人間の思いの強いペトロは、「サタンよ、引き下がれ」とまでイエスに言われ、注意をされたこともありました。 「たとえ命が失われても、どこまでもイエスについていきます」と信念をもって従っていたペトロが、不意を突かれて「イエスを知らない」と三度まで言い切ってしまった。 そんなペトロの弱さを十分わかったうえで、イエスは「三度、わたしを知らないと言うことになる」と預言し、その通りに過ちを犯してしまったぺトロに呼びかけるのです。 三度の過ちを覆い尽くすかのように、「わたしを愛するか」と三度の赦しを与えるのです。 そして、「わたしの羊を飼いなさい。 養いなさい。」と、務めを与えて、過ちを犯した自分に嫌気がさして、落ち込んで望みを失ってしまっていたペトロを復活させたのです。
 そのペトロの姿が、「十一人の使徒とともに立って、声を張り上げて話し始めた」姿です。 「ユダヤの人々よ、エルサレムに住むすべての人たちよ」と呼びかけている姿です。 あれほど、イエスを十字架に架けたエルサレムの人たちを恐れて、家の戸に鍵までかけて閉じ籠っていたペトロです。 婦人たちから、墓の前でイエスは復活したのだと告げられたことを聞いても、たわ言のように思い、信じることができなかったペトロです。 墓の中をのぞいて確認をしたのに、その事実を受け止めることができなかったペトロです。 そのようなペトロが、エルサレムの人たちに向けて大声を張り上げて語りかけているのです。 「ナザレの人イエス」が、今まで考えてもみなかったお方であることを、「知っていただきたい。 わたしの言葉に耳を傾けてください。」と語り始めたのです。 
 ペトロは明らかに、旧約聖書のみ言葉に新しい霊の目が開かれたのです。 イエスが語られた言葉に、新しい霊の目が開かれたのです。 イエスというお方は、神のもとから直接遣わされて、私たちを救う働きを成し遂げるために、十字架の死を体験してくださった。 それはペトロ自身のためであり、自分たちのためでもあり、自分たちを拒み続けている人たちのためでもあることを、神のもとから注がれる聖霊によって知らされたのです。 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われたナザレの人イエスによって、今、ここに、時は満ち、神の国は現実のものとなったと確信したのです。 自分に授けられた聖霊が、同じように人々の中にも注がれることによって、十字架の死を経て復活されたイエスが心の中に宿り、神の国が現実のものとなる。 だから、あなたがたは古い自分を脱いで新しい自分が生まれることを願いなさい。 新しい霊の世界に生きる備えをするために、福音を信じなさい。 「いのちから死」へと、終わりに向かっている古い自分を捨てて、「死からいのち」へと、神のもとに引き寄せられる新しい望みに生きなさいとペトロは訴えているのです。 
 このペトロの説教を聞いた聴衆は、自分たちの犯した罪に気づかされました。 その過ちを認めたのです。 そして、自分たちはこれから「どうしたらよいのですか」と、歩んで行く道を求めたのです。 自分たちが殺したそのお方を、神がその十字架の死から解放し、赦して、再び人の命を越えた復活の新しい霊なる命に生きる存在とした。 その神のもとへ立ち戻る唯一の道を、わたしたち人間に与えてくださったことを知った会衆は、ぺトロの「悔い改めなさい。 めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。 そうすれば、わたしが授けられたように賜物として聖霊を受けます。」という言葉に応えて、その日のうちに三千人ほどが仲間に加わったというのです。 



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