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「開かれた目」 ルカによる福音書24章13~35節

2019-08-04

 二人の弟子が、エルサレムからエマオという村に向かって歩きながら、その不思議な、驚くべき一切の出来事について論じ合っていました。 自分たちの王として必ず私たちをこのような苦しい状態から救い出し、解放してくださると信じ込んでいたそのイエスが、人々に嘲られ、見捨てられ、ローマによって十字架の刑に処刑されて殺されてしまった。 ところが、イエスの遺体が納められているはずの墓に、遺体を包んでいた亜麻布と覆いしか残されていなかったという婦人たちの知らせが、その絶望の中にいた弟子たちに届いた。 弟子たちは、「たわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」と言うのです。 そのような失意と不安と恐れに包まれた時のエルサレムからエマオに戻る二人の弟子の旅の途中のことでした。 ひとりの見知らぬ旅人が近づいてきて、一緒に歩き始めた。 そして、「歩きながらやり取りしているその出来事は、何のことですか」と尋ねた。 そして、その出来事こそ、「聖書全体にわたり書かれていることだ」と、聖書の説き明かしを二人の弟子にしたと言うのです。 しかし、二人の弟子はその人物がだれなのか分からない。 「二人の目は遮られていた」と、聖書は言います。 霊の目をもたない人間が霊の世界に触れると、こうなるのでしょう。 霊の世界のものから働きかけられなければ、見えている姿がいったいだれなのか、見えている出来事がいったいどういうことなのか今までの経験や理解だけでは分からないのです。 尋ねられた二人の弟子はその見知らぬ人物に、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と応えています。 ここでついにこの見知らぬ旅人は、二人の弟子に厳しく言うのです。 「物分かりが悪く、心が鈍く聖書が語っている、預言者たちの言ったことをすべて信じられない者たちたちよ。 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。 聖書にはそう書いてある。」と言うのです。 「物分かりが悪く、心が鈍く」とは、私たちの心の頑なさを語っているのでしょう。 聖書全体は、このわたしについて証しするものであるとイエスは言われました。 終わりの日に見えてくるものが、今、開かれた。 隠されていたものが、今、現れ出た、説明されたと見知らぬ旅人は言っているのです。 そう言われた二人の弟子に、ここで「祈り」が与えられます。 「一緒にお泊りください」という願いです。 先を急ごうとした見知らぬ旅人を、「無理に引き止めた」とあります。 襟首をつかんで迫るぐらいの激しい祈りです。 その願いを受け止めて一緒に家に入って食事についたときです。 この世の世界にはない霊の世界が広がったと言うのです。 食事の席でパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて渡すのは、その家の主人のふるまいです。 二人の弟子のどちらか一方が取るべきふるまいであったでしょう。 客人であるはずの見知らぬ旅人が、この家の主人となってパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて渡したのです。 そのとき、二人の弟子の目が開け、見知らぬ旅人がイエスであると分かったと言うのです。 目が遮られていた二人の弟子が、霊の世界に触れた瞬間です。 霊の世界のものが近寄ってきて、一緒に歩いて、語りかけたのです。 イエスはご自身の十字架の命をささげて、聖書のみ言葉に命を与えて、二人の弟子の魂にイエスのみ言葉を打ち込んだのです。 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われたイエスの生きたみ言葉を、二人の弟子の心に刻まれたのです。 二人の弟子は、「道で話しておられるとき、また聖書の説明をしてくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」と振り返っています。 イエスを自分たちの主人として迎え入れ、礼拝をささげたとき、「二人の目は開かれた」のです。 



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