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「みなしごにはしておかないイエス」 ヨハネによる福音書14章15~31節

2019-06-09

 イエスが十字架に架けられて、失意のうちに家に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちでした。 40日の間、その死んで復活されたイエスがこの弟子たちの前に数々の証拠をもって現れ、励まし、力づけたにもかかわらず、大した変化もなく過ごしていた弟子たちでした。 その弟子たちの上に「・・・ようなもの」としか表現できない、神の息とでも言える力、「聖霊」が突然降ると、その霊に満たされ、霊が語らせるままに話し出したと言うのです。 明らかに分かることは、弟子たちの姿がまるで別人のように姿を変えたという事実です。 ナザレの人イエスが、自分たちが願うような国を作り直してくれる。 自分たちをこの苦しみから解放し、すべての人々から賞賛されるような王となるに違いない。 そう思っていたイエスに、弟子たちは失望した。 自分たちが描いていたような人物ではなかったことが分かった。 その弟子たちに、突然、異変が起こったのです。 使徒言行録は、今までの弟子たちの歩みにこの瞬間から断絶し、まったく新しい歩みを弟子たちが喜びと確信をもって歩み始めたと言うのです。 
 イエスはこのときのために、事が起こる前に、「わたしとは別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださるよう、父にお願いしよう」と約束してくださっていたのです。 これこそ、神のもとから来る「真理の霊、聖霊、私たちの傍らに呼ばれる者」です。 これが私たちに、「すべてのことを教え、イエスが話されたことをことごとく思い起こさせてくれる力、神がイエスの名によってお遣わしになる聖霊」です。 これからイエスを裏切ることになるであろう、失意と絶望のうちに落とし込まれるであろう愛する弟子たちに対するイエスの深い憐れみです。 父なる神の恵みです。 弟子たちはこの聖霊の確かさによって、大声を張り上げて語り出したのです。 イエスは、「この世はこの霊を見ようとも、知ろうともしないので受け入れることができない。 しかし、あなたがたは、この霊を知っている。 この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいる。 だから、心を騒がせるな、おびえるな。」と言っておられるのです。 私たちの傍らに、イエスの名によって遣わされる「聖霊」がともにあり、内に住んでくださらなければ、私たちはイエスに触れることも、味わうこともできません。 このイエスの憐れみと神の恵みにすがらなければ、イエスに出会うことはできません。 聖霊が降るという出来事は、このイエスの憐れみと神の恵みに生かされて生きるようになる、つくり変えられるということなのです。 
 イエスはこの箇所で「みなしご」という言葉を使っています。 この傍らに呼ばれる、神のもとから遣わされる聖霊がともなっていない状態、神を知る力を持ち合わせていない状態、これをイエスは「みなしご」と言っています。 イエスは、「弁護者、わたしの名による聖霊を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」と、事が起こる前にもうすでに約束してくださっていたのです。 「わたしは去って行くが、またあなたがたのところに戻ってくる。 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたたちはわたしを見る。 準備が終ったなら、あなたがたを父のもとへ迎えるために戻ってくる。 傍らに遣わされる聖霊こそ、この戻ってきてあなたがたを迎えるこのわたしである。 わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」と約束されたのです。 イエスが私たちに出会ってくださるのは、私たちが順風満帆の時でしょうか。 弟子たちがそうであったように、砕かれて、自分の貧しさを知って、うなだれている絶望の時ではないでしょうか。 私たちが、新しくつくり変えられる時ではないでしょうか。 



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