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「神の武具」 エフェソの信徒への手紙6章10~18節

2019-02-17

 パウロはこの手紙で、「今は悪い時代であるから、愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。 時をよく用いなさい。 無分別な者とならず、主のみ心が何であるかを悟りなさい。 酒に酔いしれてはならない。 むしろ、霊に満たされ、霊的な歌によって主に向かってほめ歌いなさい。 いつも、あらゆることにイエスの名によって神に感謝しなさい。」と語っています。 このような思いをパウロはもちながら、この手紙の最後に語っているのが今日の聖書箇所です。 「最後に言う。 主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」と言うのです。 この時のパウロは獄中にあります。 もう、そう多くは語りえないだろう。 だから、最後に、この悪い時代に生きる新しい生き方の根幹は、「神に依り頼み、神の偉大な力によって強くされることだ。」とパウロは言うのです。 
 パウロの言う「悪い時代」とは、特別にこの時代が悪いと言っているのではないでしょう。 どの時代でも、神のもとを離れてしまっているところからくる過ちを私たちは繰り返しています。 来るべき新しい時、神の国が訪れるその時に対して、今は神に背を向けている時代です。そうは言っても私たちは過去に生きることはできないし、今の現実に立って生きていかなければなりません。 ですから、私たちには今を生きる痛みがあります。 この痛みを忘れてもならないでしょう。 この神のもとから離れさせようとするこの世の力との戦いは、「血肉を相手にするものではない。 支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものだ。」 私たちの戦いは人間を相手とする戦いではない。 その人間を動かして、意のままに支配し、操作して、動かしているすべての力との戦いであるとパウロは言います。 私たちは自分に直接向かってくる相手を見てしまいます。 しかし、パウロはそうではないと言います。 その相手を動かしている、私たちの目には見えない力を恐れているのです。 神の力を小さく見せて、目に見える力を大きく見せて、不安や絶望に私たちを落とし込んで、その恐れに私たちを縛り付けて、巧みに支配し、操作し、動かそうとする力を相手とする戦いである。 そのようなものから守るための武具を身に着けなさいとパウロは言うのです。
 パウロの言う「神の武具」とは何でしょうか。 「帯として締めなさい。 胸当てを着けなさい。 履物を備えなさい。 盾を取りなさい。兜をかぶりなさい。」と言っている身に着けるものとは、「真理」です。 イエス・キリストそのものです。 神の正しさです。 神の平和の福音です。 信仰です。 神による救いです。 それもこれも、神によってしか与えられないものばかりです。 この武具を着けて、人を支配し、操作するこの世の霊と戦うために、「主に依り頼み、主の偉大な力によって強くなって」、「霊の剣」を取りなさい。 神の言葉を受け取りなさいと言うのです。 人間がつくるようなもの、考えるようなものではなく、神によって与えられる霊的なもので身を固めなさい。 これは神の霊による戦いである。 神のみ言葉による戦いである。 そのうえで、「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」と言うのです。 「どのような時にも」です。 「絶えず目を覚まして」です。 「根気よく」です。「祈り続けなさい」です。 これが、この世の霊と戦う、神の戦いに備えている私たちキリスト者の生きる姿です。 イエス・キリストの生き方を真似て、自分の力を磨いて生きる生き方ではないのです。 神の力によって、神によって授けられるものによって強くされる姿です。 そして、自分のためだけでなく、同じようにこの世の霊に取り囲まれ、さらされているすべての人のために祈る姿です。 



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