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「語りかける神」 詩編19編2節~15節

2018-09-02

 天地を造り出した創造主なる神へのダビデの賛美です。 「天は神の栄光を物語り、大空はみ手の業を示す。」と歌われています。 この世に、何の意志も働かない、何の力も働くことなくただ漂っているだけのものがあるでしょうか。 私たちが称している「大自然」というものは、偶然の賜物でしょうか。 「大空はみ手の業を示す。 昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。」と言います。 天と大空とは、空間軸を言うのでしょう。 昼と夜とは、時間軸を言うのでしょう。 すべて造られたものは、造った者のみ手の業である。 造った者の栄光を示している。 それだけではない。 昼と夜によって途絶えることなく続いていると賛美しているのです。 この神の語りかけや呼びかけは、耳で聞く言葉になっていないかもしれない。 声になっていないかもしれない。 沈黙のままであるかもしれない。 私たちが聞き取ることができなしものであるかもしれない。 しかし、この造られたこの世の全地に、この神の響きや神の言葉は響きわたっている。 この世の果てにまで届いていると賛美しています。 ダビデは、神が造られたものを通して神の呼びかけを聞いています。 また、人の口を通して語られた一つ一つのみ言葉にも聞いています。 「主の律法、主の定め、主の命令、主の戒め、主への畏れ、主の裁き」と6つに表現されているみ言葉です。 神が預言者たちを通して語られた、私たちが聞いて受け取ることのできる言葉に聞いています。 神が語られたこのみ言葉は、私たちの魂を生き返らせる。 無知な人に知恵を与えられる。 心に喜びを与える。 目に光を与える。 そして、いつまでも変わることなく語られ、消えることなく続く。 語られたみ言葉はことごとく正しいと賛美しています。 しかし、そうであると分かっていたとしても、神の助けがなければこのみ言葉に私たちが生きることができるでしょうか。 だれが自分の過ちを知ることができるでしょうか。 ダビデは、「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうかわたしを清めてください。」 「どうか、わたしが抱いている驕りから引き離し、支配されないようにしてください。」と神に祈るのです。 ダビデは、神の民を導く自分の務めがあることを十分に承知しています。 ですから、毎朝、陽の上がる前から、神の前に出て、すべてを支配しておられる神を賛美して、その声にならない神の語りかけ、神の響きを聞くのです。 そして、人の口を通して語られた神のみ言葉、聖書に聞いて祈るのです。 「どうか、わたしの口の言葉がみ旨にかない、心の思いがみ前に置かれますように。」と、毎朝、祈るのです。 ダビデは「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。 打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(詩編51章19節)と祈っているのです。 
 神は様々なものを通して私たちに語られます。 私たちの目に見えているものを通して語る時もあるでしょう。 人の口を通して語られる時もあるでしょう。 神に敵意をもつ者の口を通してでも語るお方です。 言葉はなくても、語る人の姿や働きを通しても語るお方です。 語らない沈黙を通してでも語る時があります。 出来事を通しても語ります。 ダビデは、この世に向かって目をしっかりと開き、この神の呼びかけを注意深く聞いています。 人を通して語られた神のみ言葉にも、また、人を通して成し遂げられた神のみ業にも、注意深く聞いています。 幸いに私たちは、神の言葉であるイエス・キリストが語られたみ言葉を聞いています。 「福音」です。 イエスの身に起きた出来事を伝える言葉です。 イエスにおいて、神が成し遂げてくださった救いの働きを告げ知らせる言葉です。 十字架の死と復活の言葉です。 「福音は、信じるものすべてに救いをもたらす神の力」(ローマ16章17節)です。 この詩編19編の賛美とみ言葉と祈りによって、新しい一日を始めてみませんか。



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