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「神の真実に生かされる」 申命記31章30節~32章4節

2018-09-16

 モーセは主に、「あなたは間もなく先祖と共に眠る。 今まであなたに従ってきたイスラエルの民は直ちに、わたしを捨てて、わたしと結んできた契約を破る。 わたしの怒りは燃え、わたしは顔を隠す。 彼らが他の神々に向かうことにより行ったすべての悪のゆえである。 だから、これから語る言葉を書き留め、イスラエルの人々に教え、わたしの証言としなさい。」と言われました。 モーセの遺言とも言える主から託されたみ言葉の冒頭の部分が今朝の聖書箇所です。 「主は岩、その御業は完全で その道はことごとく正しい。 真実の神で偽りなく 正しくてまっすぐな方。」とあります。 「天よ、地よ、わたしが語る言葉を聞きなさい。 天も地も、わたしがつくった世界ではないか。 あなたがたも、わたしが選び出しここまで守り導き出したわたしの民ではないか。 これから遭遇することになる災いも苦難も、あなたがたの不信仰、不真実のゆえである。 しかし、わたしの約束を果たすために救いを告げる。 だから、このことを書き留めて、あなたがたが災いと苦難に襲われるとき、このみ言葉をあなたがたの子孫が忘れずに唱え続けることにより、わたしの変わらない約束の証言となる。」と、主がモーセに託したのです。 神は岩のように変わらないお方である。 神のなされる業は完全である。 神の示される道は正しい。 神は偽りがない真実なお方である。 正しいお方であると言うのです。 私たちはそのようなものを確かに求めています。 しかし、この世においてはことごとく裏切られています。 この世にそのようなものがないことを知っています。 ですから、私たちは信じ切ることができません。 裏切られないように自分の身を守り身構えるのです。 そんな私たちがいざ「信仰の世界」に入ると、そのような存在である神を信じなければならない。 神が語るみ言葉を信じて従わなければならないと頑張るのです。 そのように従っていく姿こそ、信仰者の姿だと思い込んでいる。 ですから、心配で仕方がない。 心は揺れ動く。 そして、ついには、神のみ言葉の前にうなだれて、従い切ることのできない自分の弱さに絶望するのです。 神のみ言葉のあまりの大きさ、高さについて行けず、理解することのできない自分の愚かさに絶望するのです。 しかし、モーセは、「神が真実である。 神が変わることのできない岩なるお方である。 神が正しい。 神がなさる業が正しい。」と賛美しているのです。 旧約聖書の神の民はその長い歴史の中で、どれほどの災いと苦難を潜り抜けて、この神のご真実にたどり着いたことでしょう。 神の民は自分たちの弱さや愚かさに絶望して初めて、この神の確かさ、正しさにたどり着いたのです。 自分たちの側の不信仰や不誠実、疑いや動揺にもかかわらず、自分たちをしっかりと捉えてくださっている神の確かさを賛美しているのです。 この確かなお方とのつながり、在り方が、自分たちの信仰の土台であると宣言しているのです。
 新約聖書の時代に入りますと、神の言葉そのものであるイエス・キリストは、「神を信じなさい」という言葉でこのことを伝えています。 イエスの言われた「神を信じなさい」とは、「神のご真実をもちなさい」ともとれる言葉です。 私たちは自分に絶望するかもしれない。 しかし、この神の確かさ、正しさ、完全さに身を委ねなさい。 神の確かさを持ちなさい。 神のご真実だけに寄りすがりなさい。 「神を信じなさい」とイエスは言われたのです。 私たちを動かしているのは、私たちの信仰ではありません。 私たちの信仰とも言えないものを、信仰として拾い上げてくださっている神のご真実と慈しみです。 岩なる確かなお方に、私たちが動かされていることに気づくことです。 神のみ言葉の背後には、それを成し遂げようとする神のご真実があるのです。 信じて応えていく者には、それが生きたみ言葉となるのです。



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