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「キリストを知る キリストを得る」 フィリピの信徒への手紙3章7~11節

2018-06-10

 フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と言われています。 パウロは、フィリピの教会の人々に「あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」と語りかけています。 この手紙を書き送っているパウロの実情は、とても喜びに満ち溢れるような状況にはなかったように思います。 パウロは、この手紙をローマの牢獄の中から書いたと言われています。 それだけではない。 パウロには多くの反対者がいた。 パウロと同胞のユダヤ人キリスト者たちです。 本来、一緒に宣教の働きをともにするはずの人たちです。 長く慣れ親しんだユダヤ教の伝統、慣習のなかで、自分たちが無理なく溶け込んでいくことができるように、「キリストの福音」を都合よく変えて取り込んでいこうとする人たちです。 この時のパウロの心境を、「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。 だが一方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。 どちらを選ぶべきか、わたしにはわかりません。 この二つのことの間で、板ばさみの状態です。」と告白しています。
 主イエスと出会うまでのパウロの履歴は、当時の社会においては輝かしいものでした。 自分は生粋のユダヤ人である。律法に関しては、非の打ちどころのないほど正しい者である。 その信仰の熱心さにおいては、異端とされたキリスト教徒を迫害するほどの指導者であると自ら語っているのです。 パウロはそれを「肉の誇り」と言い、人間の知恵や努力によってそれを積み上げて誇るものを、「キリストのゆえに損失とみなすようになった」と言います。 今ではどうでもよくなったので、それらのものを棄てたとは言っていないのです。 明らかに、キリストのゆえにマイナス、損失であると思ったから棄てたと言っているのです。 これらのものこそ、キリストを見えなくするもの、キリストのもとから離れさせるものである。 だからパウロはそれらのものを棄てた時に、新しい自分を見い出すようになった。 キリストによって造り変えられた新しい自分を見つけ出したのです。 ですから、「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いました。 しかし、それらは自分にとって、塵あくたとみなしています。」と喜んで、感謝しているのです。 パウロはそのことを、「キリストを知る。 キリストを得る。」と言います。 
 うまく自分に合わせて取り込んでいこうとする私たちに、主イエスは「揺らぎ」を起こします。 主イエスは、真の救いのために、私たちをご自身のところに招くために根底から揺り動かします。 その時です。 私たちは必死に自分が壊れないように、自分を守ろうとします。 私たちは自分が辿ってきた道のりを忘れることができません。 やっとの思いで、今の自分を辛うじて保ち、守ってきたからです。 しかし主イエスは、「後ろのものを忘れて、前のものに全身を向けなさい」と言われる。 私たちだけの力では過去のことを忘れることなどできません。 しかし、主イエスはありのままの私たちを受け入れてくださって、赦してくださると言う。 「恐れるな。 なぜなら、このわたしの十字架と復活によって、新しく造り変える。」と言われるのです。 主イエスは、この時、この場所で、この仕方でなければならない「恵み」を用意してくださって、私たちを揺り動かしてくださっているのです。 この転換点が「悔い改め」です。 縛られていた自分を失わせていただいて、贖われ、新しくしていただいた自分を取り戻す。 これが「キリストの福音」が果たす「揺らぎ」、「キリストを知る、キリストを得る」ということではないでしょうか。 パウロは、自分自身の過去の過ちを忘れることはできませんでした。 死と絶望と過ちに埋もれたところにあっても、キリストを見出すことによって、新しい命と希望と救いを見出すことができるようになったのです。 パウロの言う「死者の中からの復活」です。 劇的な回心すら棄てて、絶えずパウロは新しくされていったのです。



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