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「箱舟から出て行くノアとその家族」 創世記8章15~22節

2017-12-31

 ノアは、神のみ言葉に耳を傾けることのできた人でした。 都合のいいつまみぐいのみ言葉だけでなく、神のすべての命令に従った人でした。 最初の神の命令は、「箱舟をつくる」ことでした。 なぜ今、このようなものを造らなければならないのか理解できない命令です。 「箱舟」は、神が緻密に設計し、造ることをノアに託したものです。 洪水が果てるまで、神がみ心を留めた群れを自ら扉を閉めて閉じ込めておくためのものです。 大洪水という滅びの宣言の只中にあって、それから避難し漂うための「救いの箱舟」でしょう。 その次に神は二番目の命令で、「箱舟に入りなさい」と命じられたのです。 このみ言葉に応えた人は、ノアとその家族8人だけであったと言います。 「箱舟」の外にいた人たちとは、神が命じられたようにノアが箱舟を造っている傍らで、神のみ言葉を聞くこともなく、むしろノアを哀れな者と蔑んで相手にしなかった人たちです。 「食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだり」、この世のことにしか目が留まらない人たちです。 神は三番目に、「この箱舟に留まるように」と、沈黙をもって語られたのです。 神の命令に従うためには、「箱舟」に乗り込まなくてはならなかった。 神が起こされる出来事から避難して漂うためには、「箱舟」に留まっていなければならなかった。 神が為し遂げてくださる出来事の後に備えられた新しい世界を見るためには、神の時を待たなければならなかったのです。 み言葉を聞いているだけでは、神のみ心を知ることはできません。 用意された新しい恵みを味わうこともできません。 人の言葉が、神のみ言葉の邪魔をするのです。 人の思いが、神の思いを見えなくするのです。 神のみ言葉を聞いて、立ち上がって、従って、神が用意されたものに入り込んで、そこに留まって、委ねなければ、神の用意された「救い、恵み」に辿りつかないのです。 
 「さあ、皆一緒に箱舟から出なさい。」という最後の命令が、洪水の前と同じ神の祝福とともに語られました。 神の祝福は、人の勝手なふるまい、身勝手な期待を洪水によってことごとく打ち砕いた後も変わりなく続く。 「さあ、家族とともに、託された生き物とともに一緒に新しい世界を築きなさい」と、ノアが築いた祭壇とささげられた献げものをご覧になって語られたのです。 ノアがささげたものは、人が犯してきた過ちの贖いでしょう。 残された者の救いに対する感謝と賛美でしょう。 神が用意された洪水後の新しい世界での歩みへの献身の祈りでしょう。 神はそこで「人が心に宿す思いは変わらないだろう。 しかし、わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい。」とご自身に誓われたのです。 神は私たちのこの世界を変えるのではなく、新しい救いの恵みを与えるとご自身を変えてくださったのです。 「裁き」から「赦し」へ、「滅亡」から「救い」への大転換です。 このノアとの契約、アブラハムとの契約、モーセとの契約、ダビデの契約を通して、イエス・キリストの十字架の贖いによって成し遂げられた「赦し」の新しい契約です。 目に見える「洪水」に目を惑わされてはなりません。 不信仰な私たちの傲慢、身勝手な期待を打ち砕く「祝福の中断」です。 神が命じられるまでそこに留まるとようにという「待つ試練」です。 待ち切れず、ノアは烏を飛ばし、鳩を飛ばして、水が渇いていることを確かめようとしました。 しかし、ノアは、自らの思いでは動きませんでした。 ノアたちが約一年もの間、そこに留まり耐えることができたのはノアの信仰ではありません。 神が心に留めてくださったからです。 「洪水」は滅びではありません。 再び造り上げるための試練です。 人間がこの「洪水」によって変えられたのではありません。 神が「赦し」へ、「救い」へと、新しい恵みを与えてくださったからです。 神のみ言葉を待つことです。 み言葉に聞くことができたなら、立ち上がって動くことです。 留まり続けた所が備えられた新しい恵みの世界です。 



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