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「神を信じるとは」  ヨハネによる福音書4章46~54節

2017-11-19

聖書箇所の場所は、「ガリラヤのカナ」でした。 わざわざ「前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所であった」と書き加えられています。 カナで行われていた婚礼の祝宴の席で起きたぶどう酒の出来事でした。 イエスの言葉通りに満たされた水がめいっぱいの水が、すべてぶどう酒に変わった。 それも、今までにない新しい味となった。 これが「一回目のしるし、奇跡」である。 これから述べる出来事が「二回目のしるし、奇跡」であると聖書は語っています。 
 エルサレムの過越の祭りでなされたイエスの癒しの「しるし」を見ていた大勢の人たちがイエスを待っていました。 そのようなところに、約30キロ離れたところから、ひとりの「王の役人」がやってきたというのです。 召使たちが迎えに来るほどの役人です。 王に仕える高官あるいは軍人であったかもしれません。 そのような人が、なりふり構わずイエスに頼むのです。 「主よ、子供が死なないうちに、おいでください。」と、約30キロも離れたところにご足労くださいと必死に頼むのです。 ガリラヤ地方の相当な身分の役人が大工の息子に頭を下げて、地位や名誉もかなぐり捨てて必死に願う父親の姿がここにあります。 その父親に対する最初のイエスの言葉が、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」という言葉でした。 イエスは、「しるし、奇跡を行う人」として歓迎している大勢の人々をよしとしていないのです。 病気が癒されることが問題であるとは言っておられません。 そのように願い求めることを否定されているのでもありません。 息子の癒しを求めている。 神の助けを求めている。 しかし、それは神を求めているのではないとイエスは言っておられるのではないでしょうか。 そのイエスの言葉に役人は怯みません。 「主よ、子どもが死なないうちに、おいでください。」と、最後の頼みを熱心に繰り返し訴えたのです。 役人は「死なないうちに」と言っている。 死んだら終わりだ。 だから、死ぬ前に一緒に来てくださいとイエスに願ったのでしょう。 そう語る役人に、イエスは「帰りなさい」、そして、「あなたの息子は生きる」と言われたのです。 イエスは、その役人の息子が助かるとか、病気が治るなどと言っているのではありません。 「あなたの息子は生きる」と言って、今やって来た道のりをもう一度、「帰りなさい」と言われたのです。 
 どういうことでしょうか。  神は天地をみ言葉だけで創造されたお方です。 何でも言葉によって新しく創り出すことができるお方です。 私たちは神のみ言葉がすでに与えられているのに、なおも、今、目に見える形で見せてくださいと願うのでしょうか。 イエスは、「あなたの息子は生きる」という短いみ言葉を、その役人に与えました。 私が与える力を、あなたの息子は持つだろう。 そこにあなたは今、何ももたないで、私のみ言葉だけを携えて「行きなさい」と言われたのではないでしょうか。 もとのところへ帰って行くのではありません。 イエスがもたらしてくださる新しい力によって創り出される、新しいところに「行きなさい」とイエスは送り出しておられるのではないでしょうか。 その役人は、「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」と言います。 イエスが自分の家に来てくださることだけを願っていた父親が、イエスの言葉だけを信じてひとり歩み始めたと言っているのです。 イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたその時刻に、その息子の熱が下がったことを、後に召使たちによって知らされるのです。 そして、その役人も、その家族もこぞってイエスを信じたと言うのです。 これは死に直面した息子の病気が癒された「しるし」ではありません。 父親が、イエスのみ言葉だけによってまったく新しく変えられた「しるし」です。 イエスのみ言葉に立ち上がって、そのみ言葉に従って、もしかしたらもとのままであるかもしれないところへ帰って行ったのです。 その途上でイエスのみ言葉が成し遂げられた。 父親と家族が変えられたという「二回目のしるし」だと聖書は言っているのです。



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