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「主の祝福を受けた一族」 イザヤ書61章4~11節

2017-03-19

 61章には、「貧しい者への福音」と小見出しがつけられています。 苦しんでいる人たち、抑圧されている人たちへの福音です。 「良い知らせを伝えられた貧しい人」、「心が打ち砕かれた人」、「自由を与えられた囚われ人」、「今はつながれているけれども、解放を告げ知らされた人」、「今は嘆いているけれども、慰められた人」、このような人々こそが、「とこしえの廃虚を建て直す。」 「主の祭司と呼ばれ、わたしたちの神に仕える者となる。」 「永遠の喜びを受ける。」 「主の祝福を受けた一族」であるというのです。 その理由は、「主が油を注ぎ、主なる神の霊がとらえたこの『わたし』を、『貧しい人たち』のところに遣わして、良い知らせを伝えたからだ」と言っているのです。 この『わたし』こそ、預言者イザヤでしょう。 しかし、ルカによる福音書(4:16-21)は、このみ言葉に新しい光を与えます。 イエスはガリラヤ宣教を始められたころ、このイザヤ書61章1節2節を会堂でお読みになって、すべての人の目がイエスに注がれた時、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われたのです。 
 イエスはなぜ、この聖書箇所に目を留められたのでしょうか。 ここに記されていることこそ、イエスがこれから成し遂げようとされていることであったからです。 主なる神の霊がわたしをとらえた。 主が油を注いで、祭司として、王として、そして主の僕として、このみ言葉を成し遂げるために任命してくださった。 そのお方が、今、ここに遣わしてくださった。 だから、イザヤの時代と同じように、このみ言葉が成し遂げられたとイエスは語られたのです。 「あなたたちは永遠の喜びを受ける。 主にあって喜び踊る魂が与えられる。 救いの衣を着せられる。 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。 花婿のように輝きの冠をかぶらせてくださる。 花嫁のように宝石で飾ってくださる。」 この約束を、大地が草の芽を燃えいでさせるように、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、当たり前のように成し遂げてくださる。 それも、すべての民の前で、霊なる恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されたのです。
 このように新しい霊の命を与えようとされておられるのに、私たちはこの世のものを求めてしまいました。 この約束の宣言から三年も経たないうちに、私たちは自分の思い通りにならない不満と焦りから、イエスを十字架にかけてしまったのです。 しかし、父なる神はそのイエスをよみがえらせて、良き知らせを告げる者として、十字架につけた私たちのところに遣わして、その張本人である私たちを「主が輝きを現わすために植えられた木となる。 神に仕える者、祭司となる。 この荒れ果てた廃虚を建て直す者となる。 主から与えられた喜びの冠をかぶせられる。 救いの衣を着せられる。 恵みの晴れ着をまとわされる」と言われたのです。 私たちは、この世に満足して、あるいはこの世に諦めて、せっかく父なる神が用意してくださっているこの「喜びの冠」、「救いの衣」、「恵みの晴れ着」をどこかに置いてしまっているのではないでしょうか。 様々な人を用いて使いを私たちのところにまで遣わしてくださっているのに、私たちは無視していないでしょうか。 この神の呼びかけに応えようとしているでしょうか。 それでも神は、私たちすべての者を招き続けてくださっています。 イエスは、「喜びの冠、救いの衣、恵みの晴れ着をあなたがたはすでにいただいている。 もうこの約束は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現したのである」と宣言されたのです。 私たちは、主の輝きを現わすために選ばれ、ふさわしいところに植えられた木です。 破壊されたものを建て直すために用いられるようになった者です。 神の民の代表として神に仕えるようにされた者です。 新しい務めを授けられた主の僕です。 この身分を回復された最高の祝福を受けた「主の祝福を受けた一族」なのです。



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