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「なんと幸いなこと」 ルカによる福音書11章27節~28節

2015-11-29

 預言者はマラキの後、長い間、途絶えていました。 その頃、イエスのことが次第に世に知られるようになり、「この人は預言者だ。 メシアだ。」、「いや、群衆を惑わしている人だ。」と、イエスのことで群衆の間に対立が生じたと聖書に記されています。 ユダヤの指導者たちを恐れて公には出ていなかったけれども、群衆のイエスを賞賛する声は絶えなかったのです。 この箇所でもひとりの女性から声が挙がります。 「なんと幸いなことでしょう。 あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」という驚きと賞賛の声が挙がりました。 今、耳にしている、目にしているこのイエスというお方を産んだ母親は偉大である。 産んで、育てた女性はなんと幸いなことでしょうと、ひとりの女性が勇気を振り絞って叫んだのです。 この女性が褒めているイエスの母マリアは、どのような人物であったのでしょうか。 エルサレムから遠く離れたガリラヤ地方のナザレという町にいた変哲のない女性でした。 なぜ選ばれたのか理由もわからないマリアに、「おめでとう、恵まれた方。 主があなたと共におられる。 恐れることはない。 あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子となる。」と告げられたのです。 当時でも、子どもが与えられるということは最大の恵みでした。 喜ばしい知らせであったのです。 しかし、ヨセフという人のいいなずけのおとめであったマリアにとって、悲惨な知らせでした。 つまり、この神の知らせは婚約者ヨセフの知らないうちに、マリアが妊娠をするという知らせであったのです。 「どうしてそんなことがありえましょう」と驚き、不安になっても当然のマリアであるのに、「わたしは主のはしためです。 お言葉通り、この身に成りますように。」と言っている。 そして、このマリアの短い言葉を確かに聞いて、神の使いはマリアのもとを去って行ったと聖書は短く語っています。 これから大きな変化が自分の身にもたらされる。 いったいどのようにしたらよいのか、何ら解決策も与えられないままのマリアが、「お言葉通り、この身に成りますように」と、神の言葉に応えたと聖書は言っているのです。 群衆の中から、イエスを産んで育てたこの母マリアに賞賛の声を挙げたその女性に向ってイエスは言います。 「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」 産んで育てたことが幸いなのではない。 神の言葉に聞いて、それに従ったから幸いであると言われたのでした。 イエスは、この母マリアの信仰を語っているのです。 子を産み、育てるという女性の幸いを越えて、神の言葉に出会い、それを聞き、従って生きることが幸いであると言っているのです。 イエスは、「神のみ言葉を聞いてこれを行う者が、わたしの兄弟であり、わたしの母なのである。」と言われました。 これからいったいどうなるのか分からない状態の中でも、神の言葉に身をゆだねて、自分の体の中に宿っていく神の子の誕生を担っていこうとするマリアの覚悟を幸いであると言います。 人であるイエス、復活された霊なるキリスト、このイエス・キリストが自分の胎内に宿されたという体験、これこそがクリスマスの体験であると聖書は言います。 母マリアは、イエス・キリストを自らの体の中に宿した最初の人物です。 この霊なるイエス・キリストを宿した私たちもまた、マリアと同じです。 人である私たちの中に、神の子である霊なるイエス・キリストを宿している。 この相反するものが私たちの中にあるからこそ、葛藤があります。 戦いがあります。 だからこそ、マリアが覚悟したように「主よ、お言葉通り、この身に成りますように。」という祈りが必要なのです。 この道を最初に歩まれた主イエスに従い、歩み通したマリアと同じ道を私たちは歩みます。



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